ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.78 静寂

稲沢から関西本線の塩浜まで約10時間かける中央西線からの石油返空列車6287レというのがある。稲沢~塩浜は営業キロで約52km、つまり表定速度にして約5.2km/h。保線用モーターカーもびっくりな低速度である。もちろん、これはあくまで表定速度であって、実際…

Report No.77 小旅行

国鉄末期、大都市圏では新性能電車が導入され輸送改善がなされていたが地方電化路線はまだ数多く「ゲタ電」と呼ばれた旧型国電が現役で残っていた。旧型国電はいわゆる新性能電車とは性能が大きく違うため、運用上、保守上も制約が大きく、地方線区の輸送改…

Report No.76 転勤

北陸新幹線長野〜金沢延伸開業はそれまで長野新幹線と呼ばれてきた北陸新幹線が本当の名前を取り戻した瞬間でもあった。同時に、それまで北陸方面と首都圏を結ぶ連絡網を担っていた特急列車、路線にとっては栄光の歴史の終わりを意味した。 北陸新幹線延伸…

Report No.75 みかんの丘

みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える 青い海 お船がとおく 霞んでる 1946年に発表された日本を代表する童謡の一つ、「みかんの花咲く丘」の一節だ。この歌は静岡県伊東市をモデルにした歌で、太平洋とみかん畑の続く静岡の情景を情緒…

Report No.74 Morning Glitter

愛知機関区には現在DD51-1146、DD51-1147、DD51-1156、3機の旋回窓付DD51が所属している。このうち、DD51-1147は、2012年10月に鷲別機関区から門司機関区へ転属したものの翌年7月に山口線・山陰本線の豪雨災害線路流出に伴い岡見貨物が廃止され余剰となり、2…

Report No.73 ラストナンバー

649両製造されたDD51のうち、最後に製造されたのは800番台の1805号機である。現在愛知機関区に所属する1805号機は、当初、佐倉機関区に新製配置され成田空港への航空燃料輸送で活躍し、その後は千葉地区で貨物輸送にあたり、その後吹田機関区、愛知機関区と…

Report No.72 Express

今や定期列車から消えてしまった急行列車であるが、かつては関西圏でも多くの急行列車が運行されていた。その一つが、急行「だいせん」であった。2004年に廃止された急行「だいせん」は、末期こそキハ65による運転であったが、1999年10月までは昼行はキハ58…

Report No.71 赤鼻

愛知機関区に所属するDD51の多くは、貨物運用を主目的とした800番台車である。現在所属している800番台車は休車のものも含めて13両。そのうちの最若番は、1970年9月8日製造のDD51-825である。825号機はもちろん800番台車の中でも初期の機関車であり、切り抜…

Report No.70 It's a small world

新幹線や一部私鉄の1435mm、京王線・都営新宿線の1372mmを除けば日本の鉄道の大部分は軌間1067mm、いわゆる狭軌と呼ばれる軌間で敷設されている。しかし、このほかにさらに狭い軌間で敷設されている鉄道も存在する。狭軌よりも狭い軌間、特殊狭軌と呼ばれる7…

Report No.69 煤煙の記憶

福知山線の宝塚~福知山間、山陰本線の福知山~城崎温泉間が電化され今年で30年になる。両区間とも現在では電車特急が闊歩する路線となっているが、電化前までは気動車優等列車や客車列車の楽園であった。キハ58やキハ181といった気動車が往来する中、客車列…

Report No.68 珍道中

何事も練習あるのみ、とはよく言ったものだが鉄道もまた例外ではない。電車、気動車、電気機関車、ディーゼル機関車、新幹線、さまざまな車両で乗務員の訓練が日夜行われている。JR旅客各社の場合、電車や気動車であれば営業列車を用いての訓練を行うことが…

Report No.67 面影

2000年以降、青い機関車と青い客車、「ブルートレイン」と呼ばれ親しまれた寝台列車たちの時代は高速道路網の発達や新幹線網の延伸、航空券の低価格化などによって続々と終焉を迎えた。京都~長崎を結んだ寝台特急「あかつき」もその一つであった。「あかつ…

Report No.66 おしろい

秋田県は、県下地域の約90%が特別豪雪地帯に指定されるほどの豪雪地帯である。これは日本海の対馬暖流からもたらされる湿った空気によってもたらされる雪であり、水分を多く含んだいわゆるベタ雪である。 北海道の鉄道車両がよく前面に雪を目いっぱいつけて…

Report No.65 エンブレム

日本初の特急用電車として開発された151系は欧州のTrans Europe Express(TEE)を意識した外観と塗装でそれまでの国鉄に新風を吹き込んだ。この、151系の先頭部には、それまでの列車になかった新たな”シンボル”が輝いていた。公募によって募集・決定された特急…

Report No.64 血液の一息

「石油の一滴は、血の一滴値する。」 第一次世界大戦中の1917年、仏首相クレマンソーが米大統領ウィルソン宛に石油支援の要請をした際の電報の一文であり、第二次世界大戦中の日本でも戦時標語として用いられたほど有名なものである。この電報が打たれた第一…

Report No.63 秋風の便り

日が短くなり、風も肌寒くなり、動植物が冬支度を始める秋。秋になるとユーラシア大陸からの乾いた空気が日本列島を覆うようになり、いわゆる”秋晴れ”が多くなる。とは言うものの今年は例年に比べ雨や曇りが多く、日照時間が少なかったため、あまり気持ちの…

Report No.62 フィルムとデジタルのお話

ほんの20年ほど前まで、写真といえばフィルムが主流であった。デジタルカメラは1975年にコダックが発明したが、1990年代まで高価でフィルムを使用する銀塩カメラに劣っていたこと、家庭用コンピューターの普及状況なども相まってあまり普及しなかった。しか…

Report No.61 Remember me

かつて京阪三条から三条通を通り山を越えて山科まで京阪が走っていた、と言っても若い人なら信じることはできないだろう。京都市営地下鉄東西線が開通するほんの19年前まで、京阪京津線は浜大津から三条京阪まで併用軌道と専用軌道で結ばれていた。このころ…

Report No.60 花道<後篇>

衣浦臨海鉄道は碧南線と半田線を運営している第3セクター鉄道である。碧南線はフライアッシュ・炭酸カルシウム輸送を行っており、半田線は衣浦港周辺に点在する工場などへの工業材料、製品の輸送を主体とするコンテナ列車が運行されている。かつては専用貨物…

Report No.59 花道<前篇>

DE10を基本とするDE11やDE15といった派生形式および各地の地方鉄道向けの支線用機関車は全て用途などが少しずつ違うのみでDD51と同じDML61系列エンジンなどの基本構成は同じである。更にいえばDE10系列は、DD51をもとに設計されている為、設計上DD51とDE10系…

Report No.58 村雨の日に

大地を揺らし、黒煙と蒸気を吐き走る蒸気機関車の姿はいつの時代も人々を魅了してやまない。そして近年では、その魅力を利用して地域活性化などにつなげようという動きもみられる。ひとたび蒸気機関車が走るとなれば鉄道ファンのみならず多くの観光客を呼び…

Report No.57 新世界より

日本の鉄道は土地柄路盤の弱い路線が多く、高速化や大量輸送、大出力化の足かせとなってきた。 これが顕著に表れているのがディーゼル機関車の歴史である。欧米ではディーゼル機関車というと主流は所謂ディーゼル・エレクトリック方式と言われるものだ。ディ…

Report No.56 南国淑女

国鉄特急を代表する顔として親しまれた485系だったが、今年に入って仙台支社のA1/A2編成が引退したことで原型顔が消滅し、残るはジョイフルトレインとして活躍する改造車たちのみとなった。 485系は一時北は北海道から南は九州まで全国各地の電化路線と一部…

Report No.55 我は海の子

我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。 童謡、「われは海の子」の一番の歌詞である。この「われは海の子」で歌われている海がどこかというのはいまだに諸説あるようだが、松原と海、漁村と言った日本の海岸…

Report No.54 孤城落日

はるばる北海道は五稜郭機関区から川崎重工へDF200-123が入場し、その後愛知機関区へと転属となった。そしてつい先日よりDF200が深 夜の本線試運転を開始した。DD51最後の牙城であった愛知機関区にも既にDF200用研修設備が設置されており、置き換えの日が刻…

Report No.53 瀬戸内イエロー

機械は色々な材料を用いて作られるが、その中でも最も一般的なものといえば鉄鋼材料だろう。鉄鋼材料は安価でかつ強度のある材料で、そしてその強度やその他特性を含有成分や製鉄方法、後処理などによって変化させやすいため様々な機械に利用される。鉄道も…

Report No.52 みにくいアヒルの子

日本の鉄道技術の結晶とも言える新幹線。東海道新幹線に始まり、今では北は北海道・新函館北斗から南は九州・鹿児島中央までを結び日本列島を縦断する一大輸送網を形成している。 新幹線網の拡大とともに新幹線車両も変化してきた。団子鼻に例えられた0系に…

Report No.51 赤ひげの山賊

日本の鉄道史は山との闘いであったと言っても過言ではないだろう。環太平洋造山帯に位置する我が国は、国土のおよそ2/3が山地であり、残り1/3の平地に数々の都市が点在している。つまり、これらを鉄道で結ぶことは山をいかにして攻略するかということになる…

Report No.50 Give me chocolate!

Give me chocolate! 言わずと知れた戦後日本を象徴するフレーズである。当時の飢えた子どもたちにとってそれまで日本でほとんど流通していなかったチョコレートの甘くほろ苦い甘美な味は新鮮で格別であったに違いない。 同じ頃、国鉄の機関車や客車は「ぶど…

Report No.49 藍の翼を纏いしもの

583系といえばかつては全国を昼夜問わず駆け巡っていたわけだが、向日町に所属していた車両たちが引退し、現在は秋田車両センター所属のN1+N2編成6両のみとなった。紅葉真っただ中の一昨年秋、11月27~28日にかけて秋田から京都への観光団体列車として秋田の…