ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.73 ラストナンバー

 649両製造されたDD51のうち、最後に製造されたのは800番台の1805号機である。現在愛知機関区に所属する1805号機は、当初、佐倉機関区に新製配置され成田空港への航空燃料輸送で活躍し、その後は千葉地区で貨物輸送にあたり、その後吹田機関区、愛知機関区と各地の機関区を渡り歩いてきた車両である。そして、1805号機はいまやJR貨物所属機としては数少なくなった原色機である。佐倉機関区のころとスノープローの取り外しや無線アンテナの取り付け、ATS保護板の取り付けなど内外を通してその形態は大きく変わったが原色というところは変わらなかった。さすがに852号機や853号機といった切り抜きナンバーの車両などにくらべれば人気は劣るように感じられたが、それでも、魅力的な一両である。

 愛知機関区のDD51には大きく分けてコンテナ、石油、セメント、フライアッシュの4運用がある。このうち、セメント貨物は、三岐鉄道からのセメント貨物を富田で受け取り、四日市のセメント工場までを結ぶ運用であり、1日に数往復設定されている。しかし、地図を見ればわかるのだが、富田~四日市は非常に短い運転区間であり、工場や住宅が密集しているため撮影地もあまり多くはない。だが、今や日本最後になってしまったセメント貨物をDD51が牽引するとあって、意外と人気の高い列車である。

 2016年11月12日、朝の5263レを撮影したあと、1805号機がセメントに入っていることを知っていたので、富田浜~四日市の撮影地に車を走らせた。

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 この日は雲一つない快晴、撮影地に到着し設営し5271レで構図を確認。9時半すぎのセメント第1便、5363レを待った。9時35分、快晴の元、原色1805号機がセメント貨物を牽いて坂を駆けあがってきた。うっすらとたなびく黒煙の香ばしい臭いとセメントを積んだ重いジョイント音が印象的だった。