ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.165 戻り燕

 ある研究によれば、渡り鳥であるツバメのつがいのうち、オス・メスどちらかが翌年また同じ巣に戻ってくる割合はおおよそ2割弱であるという。こう聞くと思いのほか少ない割合だと思う人も多いかもしれない。

 さてさて、「つばめ」と言えば、九州新幹線の博多~鹿児島中央間の列車を想起する方も多いだろう。これは九州新幹線開業前の鹿児島本線を経由して同駅間を結んでいた特急列車の名前をそのままに受け継いだものである。この特急列車「つばめ」は、1993年に本来「有明」として運転されていたもののうち、当時の西鹿児島駅発着だったものを分離する形で誕生したものである。この新生「つばめ」のイメージに見合う車両として開発されたのが787系である。787系「つばめ」の最盛期には有明を併結するなどして最長11両で運転するなど、鹿児島本線の大黒柱として九州の大動脈を支えていた。

 九州新幹線新八代鹿児島中央開業後は、新八代以北へと運転区間を短縮し「リレーつばめ」として名前を変え、「つばめ」としての名前を新幹線へと譲った。同時に787系は、肥薩おれんじ鉄道へと移管されたかつての鹿児島本線新八代~川内間には入線しなくなってしまった。そして九州新幹線全通後は、リレーつばめの消滅とともに鹿児島本線博多以南での運用は激減していった。

 昨今では、片割れとして残っていた「有明」も廃止され、徐々に787系そのものの運用が減少傾向にある。そんな中、余剰車となった787系を新たな観光列車「36ぷらす3」へと改造するということが発表された。その運行ルートには、かつてのつばめの運行経路である博多~鹿児島中央も含まれていた。つまりは、久方ぶりに「つばめ」の残像が復活するということを意味した。だが、さらなる驚きは「36ぷらす3」が運転開始される前に待っていた。


 2020年10月末、「36ぷらす3」の運転に先立ち、肥薩おれんじ鉄道での787系乗務員訓練が行われるという情報が舞い込んできた。これはおそらく17年ぶりとなる787系の入線であり、「36ぷらす3」はまだ改造途中ということで、通常の787系を用いるということであった。これは何としてもかつての名優を鹿児島本線で撮らねばと、一路10月末日、鹿児島へと飛んだ。

 第一に向かった撮影地は、東シナ海を背にする西方~薩摩大川。早朝の鹿児島本線の揺れ荒れ狂う普通列車肥薩おれんじ鉄道を乗り継ぎ、西方の駅から歩くこと20分ほど。快晴の海沿いには既に多くのギャラリーが集っていた。大阪から来る友人から「早朝の飛行機にて行くので場所をとっておいてくれないか」との任を受け、徐々に狭まりつつある隙間をなんとか確保しつつ、秋晴れの中「つばめ」を待った。試運転の経路としては、朝に鹿児島中央を出発し、出水まで行き、川内まで折り返したのち再度川内へ、という風におれんじ線内を3往復するダイヤとなっていた。787系 肥薩おれんじ鉄道試運転

 午前11時前、一度目の試運転復路便がジリジリと焼ける日差しの中かろやかな警笛とともに現れた。天草諸島を見渡せるほどの秋晴れの中、かつての「つばめ」はゆっくりと走り去っていった。お気づきの方もいるかもしれないが、787系「つばめ」現役当時とは編成組成が逆転している。これはこの年の7月の豪雨により出水以北が土砂崩れにより不通となっていたためで、試運転のために宮崎経由で車両を送り込んだからである。(※ただし、厳密には現役当時もこのような逆転編成で運転された場合はあったようだ。)

787系 肥薩おれんじ鉄道試運転

 この日最後の鹿児島中央へと戻る試運転行路を撮るべく向かったのは草道~薩摩高城間の海沿い。せっせと浜を歩き、唐浜海水浴場の端に位置する裸島へと昇り湾を見下ろす場所に陣を張った。何本か肥薩おれんじ鉄道の列車が行ったのち、17年ぶりの「つばめ」がやってきた。東シナ海へとおちる夕日はガンメタリックの車体をほんのり朱色に彩った。

Report No.164 バイエルンの煙を追って

 日本人にとって馴染みのあるドイツの地域はどこだろうか。ドイツ連邦には16の州があるが、そのすべてを知っている日本人はそう多くないだろう。その16の州のうち、おそらく本邦で最も知名度があるといってもそう過言ではないのはバイエルン州ではないだろうか。サッカー好きな人であればバイエルン・ミュンヘン、そして少なくない人がアルトバイエルンソーセージで聞いたことがあるだろう。車好き・ミリタリー好きであれば、BMWの正式名称、Bayerische Motoren Werke(バイエルン発動機製造株式会社)を思い出すだろうか。

 バイエルン州はドイツ南東部位置するドイツ最大の州である。かつてはバイエルン大公国やバイエルン王国と名乗っていた、ドイツの中でも独自の文化が根付いた地域である。このバイエルンに、私有鉄道博物館バイエルン鉄道博物館(Bayerisches Eisenbahnmuseum)」がある。私有博物館でありながら、100両以上の車両を所有し、複数の蒸気機関車を動態保存している。動態保存と言っても、ここでいう動態保存とは博物館構内を往復するだけのようなものではない。きちんとドイツ中の本線を走れるように整備・維持されているのである。

 2019年末、知り合いから2020年2月にバイエルン鉄道博物館主催で01形蒸気機関車牽引の臨時列車がアルゴイ線で走るから撮りに行かないか、とのお誘いを受けた。アルゴイ線については当ブログでも何度か紹介しているが、バイエルンミュンヘン方面から南へボーデン湖抜ける風光明媚な路線である。2月であれば、南ドイツといえどもまだまだ冬。運が良ければ雪の中を走る01形を撮ることができる。そうとなれば航空券を押さえるのみである。話をいただいた数日後にはターキッシュエアラインズのミュンヘン行航空券を押さえたのであった。偶然にももう一人の友人が同時期に渡欧するとのことであったので、ならば一緒に撮影に来ないか、と誘い込み無事3人で撮影に赴くことになった。

 2月21日朝にドイツ・ミュンヘン入りした私は、先に渡欧していた友人と合流し一日事前ロケハンとアルゴイ迂回となっていたスイス方面ユーロシティーを撮った。その後、夕方にバイエルン鉄道博物館へと赴き、もう一人の発案者の友人と合流。バイエルン鉄道博物館にて翌日の準備作業を少しばかり撮影させていただいたのであった。ここでいささか残念な知らせが。本来牽引予定であった01.066号機が直近の検査で不具合が見つかり、代替として01.180号機が抜擢されるとの報。066号機は貴重な原形に近い01であっただけでに残念な知らせではあったが、こればかりはどうしようもなかった。(ここでは詳細を語ることができないが、066号機の不具合はかなりの重症で、数日で治るような代物ではなかった。)

 そして待ちに待った運転日2月22日がやってきた。この日は前日より少々雲が増えたものの、晴れが続いていた。アウクスブルクの宿を早朝に出立し、ブーフロー(Buchloe)手前で既に一発撮ったのち、Aitrangの集落近くの貯水池の撮影地へと赴いた。

Br01.180 Bayerisches Eisenbahnmuseum Sonderzug

 ミュンヘン方面行ユーロシティーなどを撮影していると、すぐに予定通過時刻はやってきた。私の友人のみならずその他の知り合い日本人鉄数人とペンタックス64を持った気合の入った現地鉄が参戦するなど、なかなかに盛況となる中、01.180号機に引き連れられて臨時列車はやってきた。力強く大地を蹴る01の真っ赤な動輪が勇ましい。この貯水池に住み着いている白鳥がちょうどよいところにフレームインしてくれたのは運がよかったからだったのだろうか。

Report No.163 東国の新人

 欧州において、鉄道車両の多くは顧客たる鉄道会社が一から設計してオーダーメイドするものではなく、ありものの設計を微調整して導入するというセミオーダーメイドが主流となっている。これはひとえに、電化方式や信号方式さえ違えど、軌間がおおむね1435mmであり、早くから国際列車を直通させる目的で車両規格の統一化が進んでいたことが要因にあるだろう。機関車においてもこの傾向は顕著であり、オーダーメイドに近い仕様となるものは軌間が1067mm以下のナローゲージ車両やイギリスなど車両規格が小さい一部国・地域のみというような状況である。

 そのようなセミオーダーメイドの電気機関車で今、欧州で最も導入が進んでいると言っても過言ではないのがドイツ・Siemens製Vectronである。現在Vectronは1000両以上納入されており、欧州ほとんどの国でその姿を見ることができる。欧州各国の多様な電化設備に対応した様々なパッケージで展開されており、1機で交直合わせ最大4つの電源に対応することができる。そのため、多くの鉄道会社が多国間直通運転を行う貨客列車へ投入している。オーストリア連邦鉄道ÖBBもまたそうした会社のひとつである。ÖBBは中欧オーストリアという立地上、貨客問わず国際列車が数多く運転されている。これまでは、多電源対応の機関車としてSiemens製EuroSprinterが運用されてきたが、Vectronの登場により、一部運用ではEuroSprinterをVectronで置き換えている。

 オーストリアからみて南西に位置するスロベニア・Koperの港は、オーストリアから最も近いアドリア海側の港の一つである。Koper港へ向けÖBBによって運行されている貨物列車の一つがメルセデスの完成車輸送である。2018年まではこの運用はEuroSprinterによって行われていたが、2019年より、新鋭Vectronへと運用が置き換えられた。2019年11月の渡欧において、このVectronへと置き換わった完成車輸送を撮影するべく、スロベニア鉄道Koper線へと出向いた。

 Koper港への車両出荷便は朝10時すぎごろにČrnotiče付近の峠をKoper方面へと下るのだが、正確な運転日やダイヤを把握できなかったため、運転があるかどうかは半ば運任せであった。Koper線は交換駅こそあるが大部分が単線であるため、多くの下り貨物は一旦峠の上の複数の駅で複数便が待機させられ、上り貨物の通過を待つ。また、深夜帯は港の作業員の都合のためか運転は限られていることを事前に調査済みであった。そこで、もし出荷便の運転があるならば、朝早い段階で峠の上のどこかの駅で待機しているのではないかと読んだ。

 早朝4時ごろ、眠い目をこすりながら、A1号高速道路をひた走りKoper方面へと向かった。まずDivača駅へと向かったが、ここには車運列車はいなかった。次に向かったのはKozina駅。まさにビンゴ、車運列車はここで側線に止まっていた。側線での停止位置の都合上牽引機がVectronであるかは確認できなかったが、ひとまず運転があることはわかった。そうとわかれば、もう撮影地へコマを進める以外に選択肢はなかった。この日はアドリア海から雨雲が垂れ込むあいにくの天気であったが、こればかりは致し方ないとあきらめて、Zanigradの丘の撮影地へ向かった。

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 丘から見下ろす谷沿いの森は秋とあって紅葉で色づいた木々が点在していた。丘を登っていると、ちょうど一本貨物が下ってきた。よく見るとÖBB Vectronが牽引するコンテナ貨物であった。本来撮りたかった立ち位置での撮影とはならなかったが、ひとまずVectronが運用されていることは確認できた。そののち、狙いの立ち位置でセッティングし待つこと2時間ほど。10時半前にお目当ての車運列車がやってきた。赤い車体のサイドに白あしらわれたÖBBの大きなロゴは丘の上からでもはっきりとわかる。東国(Österreich)の新人はメルセデス車を満載した貨車を引き連れて峠を下って行った。終点Koper港まではあと少しの道のりだ。

Report No.162 峡谷

 ジュリア・アルプス山脈がそびえるスロベニア北西部は、切り立った山々と深い森、そして囁く清流が織りなす絵本のような景色が広がっている。その一つがヴィントガル(Vintgar)峡谷である。1891年に発見されたこの峡谷は、ジュリア・アルプスから流れるラドウナ川によって荒々しく削られた岩肌と深い森に囲まれた全長2km弱の峡谷である。スロベニア随一の名所と言ってもいいブレッド湖からもほど近く、渓流に沿って遊歩道が整備されているためトレッキングに人気のスポットである。

 このヴィントガル峡谷の北端ほど近くをスロベニア鉄道のBohinj線が貫いているのだが、峡谷を一跨ぎで越えるために石積みのアーチ橋が架けられている。秋になると、この橋梁の周りは紅葉で真っ赤に染まる。ローカル線であるBohinj線の本数は決して多くはないが、イタリア・フィアット製の気動車や場合によっては動態保存運転の蒸気機関車牽引の客車列車が走るなど魅力満点の路線である。

 日本の秋も深まってきた2020年11月、スロベニアの紅葉もころあいとみて東京・羽田から出国した。晩秋の欧州は秋といえどもう日本の冬のような気温であった。早朝の寒さに震えながら、ブレッド湖沿いのホテルを出立し、途中スーパーでパンとチーズとハムを買い込んでからヴィントガル峡谷へと向かった。峡谷へと至る森の遊歩道を30分ほど歩いて撮影地周辺へはたどり着いたのだが、どうにも事前に調べていたベストな立ち位置が見つからない。峡谷の管理事務所で聞いてもいまいち要領を得ない回答しか燃えらなかった。普通列車まではまだ時間があったので、イチかバチか、と覚悟を決めて遊歩道の裏側の山を登って探してみることにした。

 探すこと15分ほど。思い描いていた立ち位置を見つけることができた。想定していたよりも木々の間からであり、そして足元はすぐに崖という中々にスリリングな場所であった。美しいアーチ橋梁の背景に広がる紅葉はこの寒さの中にあってまだまだ見ごろという状況。なかなかに良いではないか、と、ひとまず買い込んだ食材で作ったサンドイッチを頬張り森林浴をしながら列車を待った。

スロベニア鉄道 Bohinj線

 しばらくして、JeseniceからNova Goricaへと向かう普通列車がやってきた。来たのはフィアット製の2両編成のディーゼルカー。検査明けなのか紅葉に負けないまばゆいばかりの赤い車体が石橋の上をコトコトと歩んでいった。

 本来であれば、この日は蒸気機関車の動態保存運転設定日であったのだが、どうやら予約人数に足りなかったため旅程キャンセルとなっていたようであった。少々悔しい思いをさせられてしまったが、こればかりは仕方ない。次回に期待、いや、次回は自分で企画して貸切を走らせるのもありかもしれない、と帰路の飛行機で思いにふけったのであった。

Report No.161 三国特急

 欧州において国際列車は珍しい存在ではない。ひとたびドイツやスイスの大規模な駅へ行けば、一時間のうちに一本は少なくとも国際列車を見ることができるだろう。近年では、近距離の移動に対して飛行機を使うことによる環境への負荷を減らそうという、いわゆる”飛び恥”なる世論と合わせて、国際列車の立場は向上の一途である。これまでは、他国への乗り入れの簡便性から国際列車には客車が多く使われてきたが、近年では利便性の向上のため徐々に電車列車による国際列車が増えてきている。このような列車の一つがEuroCity-Express(ECE)である。ECEは現在7往復が運転されており、そのうちの1往復はドイツ・フランクフルトとイタリア・ミラノをスイス経由で8時間かけて運転される長距離電車特急である。このECEに使用されるスイス国鉄RABe503形のうちの1本、第22編成は、ECEのプロモーションを兼ねてドイツ・スイス・イタリアの国旗とともに、走行経路沿線の有名な建造物をあしらった特別ラッピングを施されている。だがしかし、RABe503自体はECEのみならず、スイス国内外の列車で使用されているため、この特別ラッピングを狙って撮影するのはなかなかに至難の業である。

 2019年の訪欧の際、WassenにてVSOEを撮影後も快晴が続いていたため、先に帰国する友人をBrunnenの駅まで送り届けた後、Steinenのストレートへと足を向けた。Steinenはゴッタルド峠を通るすべての列車が通過する地点なため、暇つぶしにはもってこいの場所である。Steinenのストレートの背後、北側に位置するのはRossberg山。比較的開拓が進んでおり、そう高くないように見える山なのだが、それでも最高峰のWildspitzは海抜1580mの立派な山脈である。(日本であると、八甲田山由布岳あたりが標高としては近い。)

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 撮影地でのんびりと昼下がりの貨物や優等列車を撮影していると、チューリヒ発ミラノ行のEuroCity EC19がやってくる時間となった。この列車はRABe503/ETR610(RABe503と同型の車両である)によって運行されるものであったので、何が来るか楽しみに待っていると、幸運にもやってきたのは第22編成、三国ラッピングの編成であった。通常塗装の車両も悪くはないが、やはり一編成だけのイロモノとなるとうれしいものだ。次はぜひドイツにて撮影してみたいものだ。

Report No.160 マルチプレイヤー

 本邦でオール二階建て車両というとE1系新幹線やE4系新幹線、あとは先頭車に目をつむれば215系程度であるが、諸外国に目を向けるとオール二階建て車両というのは存外メジャーな車両カテゴリーである。通勤電車というジャンルの中で見ても、諸外国、特に欧米では大都市圏を中心に数多く二階建て車両が運用されている。むしろ、日本の首都圏のように平屋の通勤電車が10両や15両といった長大編成で走っていることのほうが珍しいのではないだろうか。

 軌道条件や車両限界等、種々理由はあるのだろうがダイヤ設定における思想の違いも一つ大きな要素としてある。日本で通勤電車といえば、停車時間は主要駅で1分以上あれば長い方である。むしろ、大阪や東京といった地域の通勤電車であれば、30秒以内の停車というのが最長といったところも多いかと思う。これは、日本の通勤需要が他国に比べても異様に高いが故の過密ダイヤであることに起因しているものだろう。対して、欧米と言えば、通勤時間帯でも比較的余裕のあるダイヤ設定となっている印象だ。だからこそ、日本では半ば失敗に終わってしまった215系のようなオール二階建て車両でも通勤電車として運用することが可能なのだろう。

 スイスにおいては、通勤から都市間急行列車まで幅広く二階建て車両が活躍している。そして、これらの運用を手広くこなしているのがRABe511形電車である。スイス・Stadler社製のこの車両、近年ではKISSの愛称のもとに西欧のみならず東欧圏、はたまた旧ソ連圏各国へ輸出されており、欧州製電車の新標準の一つとなりつつある。RABe511の中でも特に地域間急行Regio Express(RE)に充当されるものは6両編成のものがあり、その二階建ての巨体も相まって被写体としては迫力十分である。2017年の渡欧では、SevelenにてEuroNightの撮影(Report No.110 Guten Morgen - ぽっぽ屋備忘録)ついでにと、RABe511にて運行されているChur行きREを撮影した。

RABe511 RE Chur

 ぱっと晴れたSevelenの町から見るAppenzell Alpsの美しいこと。秋の寒さに少々凍えながら構えているとRegio Expressがその巨体に似つかわしくない静かさで滑るように走ってきた。背後の山と距離があるとは言え、さすがは2階建て。画面の山の高さの半分にも迫ろうかというそのマルチプレイヤーの巨体は勇ましい限りだった。

Report No.159 共産主義の大地

  1917年11月7日、世界は初めて社会主義国家の成立を見た。のちにソビエト連邦となるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の誕生であった。第二次大戦下のソビエト連邦では、マルクス・レーニン主義大義名分の名のもとに、集団農業化や重工業を主とした計画経済が強硬に推し進められた。その過程では、飢餓や粛清、大規模な強制労働等、多大な犠牲を払い道路や鉄道といったインフラ整備が行われた。ロシア帝国時代遅遅として進まなかった辺境部のインフラ整備が進んだことは一定評価されているが、そのためにソ連が支払った代償は決して小さくない。

 国内で既に大きな犠牲を払っていたソ連であったが、第二次大戦においては、その傍ら日本およびドイツとも戦線を交えている。日ソ中立条約を破ってソ連が日本の関東軍支配下中国東北部および満州へ侵攻したことは多くの方がご存じだろう。だが、日本とソ連が戦端を交えたのはこれが最初というわけではない。満州事変によって日ソは大陸側で国境を接することになったわけだが、この国境に関して双方ともに係争があり、幾度か戦端を交えている。そのうちの一つが1938年の張鼓峰事件(ソ連側ではハサン湖事件)である。この事件では現在の北朝鮮とロシアと中国の3か国の国境に位置するハサン湖近くの丘陵地帯をめぐって日ソ両軍が衝突した。この地帯がなぜ重要だったかと言えば、単に国境地帯の係争地であったというだけではなく、この国境沿いに南満州鉄道が走っており、ハサン湖ほとりの丘陵地帯を押さえることで南満州鉄道を見渡すことができるようになるからであった。当時の鉄道といえば、軍事物資の大量輸送には欠かせない輸送手段であり、ソ連からすれば、この地帯を押さえることで日本ににらみを利かせることができると考えたのであろう。結果的に張鼓峰事件は双方の激しい攻防ののち、丘陵地帯の日本側の少し南を流れる豆満江を国境とすることで停戦合意がなされ国境が確定した。

 ソ連は国境付近の南満州鉄道を見渡せる丘陵地帯を手に入れたことで、それまで以上にここを重要戦略地点と意識するに至ったのであろう。事件後、ソ連シベリア鉄道バラノフスキーからハサン湖の北30kmに位置するクラスキノへと至る鉄道、バラノフスキー・ハサン鉄道の建設を開始し、1941年に全通させている。戦後さらにクラスキノからハサンへと延伸が行われ、現在では豆満江を渡る鉄道橋により北朝鮮へと鉄路は続いている。極東の辺境、シベリアの最果てたるこのような場所に鉄路を引くことは少なからず困難があったことであろう。マルクス・レーニン主義だからこそなせた技といったところだろうか。国内外で大きな犠牲を払いつつも短期間で全通させている共産党の強権さには恐れ入るばかりである。

 このバラノフスキー・ハサン鉄道、非電化全線単線で見渡す限りの原野を走る日本でいうところのローカル線なのだが、侮るなかれ。この路線、現在ではクラスキノ近くの港、ポシエトから石炭を積み出すためにシベリア鉄道方面から毎日のように長大編成の石炭輸送列車が多数運転されているのだ。一部は北朝鮮へと輸送されているようだとも聞くが真偽やいかに。そしてまたこの路線の主な輸送物品が石炭であるところに、社会主義時代の重工業偏重計画経済の残滓を垣間見ることができる。

 この石炭輸送列車を撮影すべく、2019年10月、友人たちと遥々ロシアは沿海州ウラジオストクへと向かった。仕事を終えた後すぐに成田へと向かい、成田からはエチオピア航空のソウル・インチョン経由アディスアベバ行に搭乗し韓国はソウルへ日付をまたいだころ到着した。先に各々到着していた友人たちと合流し、空港で仮眠。翌朝早朝、出発客で長蛇の列となった受付カウンターと保安検査を通り、ちょうど搭乗が始まったばかりの韓国系LCCチェジュ航空のウラジオストク便へと滑り込んだ。

 ソウルから約2時間半程度のフライトでウラジオストクへと降り立った。初のロシア、電子ビザが解禁されこれまでのように大使館へ出向いて申請をせずともよくなったとは言え入国審査はやはり共産国のそれであった。空港についてからは現地のプリペイド携帯回線SIMを購入したのち、カタコトの英語を話すレンタカー屋の係員に案内されて今回の旅の相棒たる車とご対面となった。天気がいまいちであったので、スーパーで買い出しをしたのち、友人の運転でひたすらと極東ロシアの荒野を走り、時折ロケハンをしつつこの日は投宿となった。

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 翌朝は、10月というのにもう凍えそうな寒さであった。早朝に宿を発ち、未舗装の道に揺られながら車を走らせること40分といったところであったろうか。リャザノフカ(Рязановка)付近のお目当ての撮影地付近へと到着した。ここからはひたすら山登り。20分ほどかけて小高い丘へと昇ると右手に日本海、左手にはシベリアの原野とかつての満州の山々という絶景であった。ここからは持久戦である。なにせ列車の時刻が分かっているわけではないので、ひたすら待つしかないのである。

 しばらくして、シベリア鉄道方面へ向かう北行の貨物がずらずらと空の石炭貨車をひきつれ重苦しいディーゼル音を放ちながらやってきた。これにて狙いの南行貨物の構図を確認。あとはひたすら南行の列車を待つばかりであった。だがしかしこれが待てど暮らせど来ない。北行貨物の40分後に機関車だけの回送が通過したが、それっきり。幸い携帯が圏外でないことが幸いであったが、ここは異国の地。いくらネットで情報を調べても何か出てくるわけもなかった。待つのも飽きた友人が山頂で二度寝を始める始末であった。

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 待ちも限界になりつつあった持久戦3時間目。ついにお目当ては現れた。はるか彼方からけたたましい排気音とジョイント音を山々にこだまさせながら石炭を満載にした貨物が紅葉の山々を縫ってやってきた。この区間はこういった重量級の貨物には少々厳しいのか前後に機関車を連結して運転するプルプッシュ方式。2車体連結で6000馬力の2TE10MK型機関車を前後につけているのだから、いかにこの列車が重いのかおわかりいただけただろうか。

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  自分たちのいる山の麓をかすめた列車はまた右へ左へと揺られながら山あいへと吸い込まれていく。荒野を彩る紅葉の木々の間を無機質な貨物列車が蹂躙していくような、そんな光景だ。轟音を轟かせるかつての社会主義の置き土産を夢中でフレームに収めた。