ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.146 赤い星の巨人

 蒸気機関車の世界最速記録といえば、流麗な流線型のボディが美しいイギリスLNERのA4形マラード号が保持する202.8km/hである。この記録は第二次世界大戦直前の1938年7月3日に達成された記録だ。この約2年前の1936年5月11日にはドイツ国鉄05形002号機が200.4km/hという史上初の蒸気機関車での200km/h超えを記録している。当時の欧州では各国の国鉄、鉄道会社が自らの鉄道技術の粋を集めてこのような高速化を競い合っていた。このような200km/hという大台を目指し開発競争が行われていたのは、当時既に100km/hを超す最高速度をもつ蒸気機関車が欧州には数多く存在したからこそであろう。

 第二次世界大戦前後、ドイツ国鉄01形に代表されるような急行用旅客蒸気機関車は最高速度120km/h超での営業運転が行われており、欧州主要国ではすでに超高速とは言えずとも、現在の日本の在来線程度の最高速度で運転されていた。ただ、これはあくまでイギリス、ドイツ、フランスといった欧州主要国での話であり、チェコハンガリーといった国では最高速度100km/h程度にとどまっていた。特にチェコ・スロバキア(当時)では、戦後、既存の蒸気機関車の性能不足が顕著となったため、新型蒸気機関車が待ち望まれていた。

 そんな中1954年に登場した一形式が498.1形である。動輪径1830mmのD級機、最高速度は120km/h、出力2000kWと当時の欧州諸国の蒸気機関車と比べても遜色ない仕様になっている。さらには、諸外国では採用例の少なかった機械式投炭装置を搭載しており、決して時代遅れなどではなかった。特筆すべきは1964年8月27日に、498.106がチェコ・スロバキア蒸気機関車としては最速の162km/hを記録していることだろう。マラード号のように超高速を求めて設計されたわけではないこの機関車が、このような最高速度を達成できたというのはチェコ・スロバキアの鉄道技術の向上を物語っている。

 現在498.1形は、速度記録を保持する106号機、動態運転可能の104号機、106号機の部品取りとして112号機の3両が保存されている。残念ながら106号機は2003年に検査切れとなっておりチェコの博物館に静態展示となっている。104号機はスロバキアブラチスラバに拠点を置く保存会が運用をしており、時たま臨時列車を本線で牽引してくれる。

 2019年5月のGW遠征ではVSOEのブダペスト便の翌日に498.104牽引の団体臨時が運転されるという予定になっており、VSOE撮影後の熱も冷めあらぬうちに、EC272 Metropolitanに飛び乗りブダペストを後にしてスロバキアへと向かった。スロバキアででの撮影ポイントは Report No.144 ゴーグル - ぽっぽ屋備忘録で紹介した地点にしていた。地図を検索してみていただけるとわかりやすいのだが、実はこの地点、2つの路線が合流する地点で、この2つの路線はどちらもHronská Dúbravaで二股に分かれた路線が再合流するポイントになっている。当初の運転計画では104は、ここからZvolen、Banská Bystricaを経由し北上することになっていたのだが、どうやら直前に計画変更があったらしく、Zvolenで方向転換をしてBanská Bystricaを経由せず北上するルートに変更されていたのだった。Report No.144で紹介したゴーグル機関車牽引の列車はBanská Bystricaからの列車であり、Banská Bystrica経由しない列車は撮影地の背後の線路を通ってくる。だが撮影時、経路変更があったことなど知る由もなく、104号機を待っていた。撮影していると現地の鉄道ファンもやってきて同じアングルで構え始めたため気楽に待っていたのだが、しばらくして現地ファンは乗ってきた車で大慌てで撤退。何事かと思ってふと彼らが去っていった方向を見ると、立っている撮影地の背後へと続く線路の彼方におそらく蒸気のものと思しき白煙が立ち上っていた。

まずい!やられた!経路変更だ!そのとき初めてことの重大さに気付いたが三脚もしっかり据えて構えているだけにすぐに大移動するのは困難であった。だが気づけばとっさにサブ機を片手に撮影地の丘をおりてそれまで背後だった線路の反対側へと駆け出していた。

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 構えてすぐ、濃紺の巨体に赤い星を付けた498.104が猛然と疾走してきた。胸の鼓動がこれでもかというほど体の中を駆け巡る中、必死でシャッターを切った。思っていた結果とは異なってしまったが、なんとか貴重な本線運転を記録できた。とっさの判断をほめたい気持ちでいっぱいあった。

 これにて2019年GW遠征はすべての撮影目標を回収し、この日は早々にブラチスラバに引き上げ、翌日昼のウィーン発の飛行機で一路日本へと帰国した。もっとも、帰りはウィーン→バンコク台北→ソウル→釜山港博多港→新幹線とまたまた面倒くさいルートでの帰国ではあったのだが・・・。