ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.81 Ready

 駅と言うと、多くの人が想像するのはホームがあり旅客が乗降する場所だろう。だが、実際には、駅は大きく分けて2種類、旅客駅、貨物駅の2つがある。旅客駅は読んで字のごとく旅客が乗降するための駅。そして貨物駅は貨物の荷扱いを行う駅である。貨物駅はその性質上、旅客の乗降は行われないので一般の人からすると幻の駅と言ってもいいだろう。

 関西本線塩浜駅はそんな貨物駅の一つである。近鉄塩浜駅のすぐ真横に位置するJR貨物の塩浜駅は、信州方面への石油輸送を支える重要な駅である。塩浜駅からは昭和四日市石油への専用線が伸びており、毎日のように精製されたガソリンが信州へと発送されている。

 さて、塩浜駅は構内を公道が横切っており、夕方に発送される便をバルブすることができる。2017年1月5日、朝から四日市周辺で撮影していた。この日、夜はやはり75レの折り返しとなる6286レを塩浜でバルブしてシメることにした。塩浜についてみるとちょうど入れ替えがおわり6286レが発車を待っている状態だった。

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 牽引は赤鼻のDD51-825を先頭に三分割ラジエーターのDD51-1028との重連。この間まであまり巡り合わせ良くなかった825号機だが最近どうやら巡り合わせがよくなってきたようだ。念願だった塩浜バルブも撮影でき満足な一日であった。

Report No.80 Winter Present

 去る2017年3月4日、JR各社でダイヤ改正が実施された。今回の改正で個人的に一番驚いたのは愛知機関区DD51の石油運用である。今まで、石油運用は定期・臨時含め最大5往復設定されていたのだが、今回の改正で朝の5263レ~5282レ、および夕方の8075レ~6286レ(改正前75レ~6286レ)がDF200の運用となり、DD51が担当する残りの3往復は全て8000番台や6000番台の列車、つまり臨時便とされたのである。これには、2017年度からの四日市の石油製油設備の減産が影響しているという話もあり、将来的な減便は避けられないようだ。幸い、3月5日時点でDF200が四日市~塩浜間での試運転を行ったとの情報はないためDF200が受け持つこととなった2運用も、しばらくはDD51による代走が続くものと思われる。

 その他の運用を見てみると、コンテナ運用、セメント・フライアッシュ運用は改正前と変わらずDD51の運用として残存した。しかし重連が組まれるなど花形運用であった石油運用がダイヤ上臨時便にされたことは、愛知機関区のDD51の余命が幾ばくも無いということを如実に表しているように思えてならない。末期の日本海きたぐに、あけぼのなどがそうであったように定期からの臨時への格下げ、そしてしばらくしての設定なしという流れは想像にたやすい。ただし留意すべきは現状愛知機関区のDF200はDF200-223の1両のみであることだ。新たにDF200が追加配置されるまで、しばしはDD51たちの残りの活躍を見ることができるだろう。

 さて、この冬、1月16日に四日市周辺は記録的な豪雪に見舞われた。関西本線では雪による列車遅延やポイント不転換でダイヤは大幅に乱れ貨物にも運休が続出した。その翌日、1月17日はうって変わって午前中は快晴予報であった。雪景色を走るDD51を撮れるのはこれが最後かもしれないと急遽車を借りて四日市へ。朝の6287レ、5263レから狙えば雪をかくかもしれないと思い塩浜駅で構えたのだが、6287レは発送便が運休となっていたためか運転されず、5263レに至っては返却がなく重連回送。これでは収まりがつかないので藁をもつかむ思いで朝のセメント便を撮りに海蔵川へ。途中脱輪している車がありどうにも撮影地まで乗り付けるのは困難であったので脱輪していた車の後ろに駐車して雪に埋もれ道なき道となった農道を雪中行軍。なんとか通過5分前に定位置に着くことができた。

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 富田で留置を見るのを忘れていたのでどの罐が来るのかは完全にくじ引き状態だったのだが、やってきたのはDD51-825。A更新切り抜きナンバーの赤デコだった。雪に真っ赤な機関車。スノープローがないのが残念だが、雪景色の中スノープローなしの機関車というのも記録写真の意味合いとしてはある意味貴重かもしれない。

 今回の改正でも一応はDD51の運用として残ったセメント便。今後は石油便よりこちらがメジャーになるのかもしれない。

Report No.79 ニセコの思い出

 函館本線 長万部~小樽間、通称山線。かつてここはC62が牽引する「ニセコ」が走ることで有名だった。C62が引退して以降はC11がその後を引き継いで2014年まで「SLニセコ号」として運行していた。しかし牽引に用いられていたC11に新型ATSの設置が難しかったこと、JR北海道の財政難などから動輪の調子の悪かったC11-207が運用を離脱することになり、同時にSLニセコの運行も終了することになった。当時SLニセコの牽引に当たっていたのがこのC11-207。207号機は2灯式の前照灯、いわゆるカニ目が特徴的な罐である。

 SLニセコ最後の年、2014年夏、友人と共に渡道した際に、SLニセコを撮ることになった。SLニセコの撮影地としてまず外せないのが然別~銀山の首振りカーブだった。ここは、カーブまでが比較的長いストレートになっており、ちょうど羊蹄国道がオーバークロスする撮影地なので、ポジフィルムは広角で定番(Report No.39 黒鋼の記憶 - ぽっぽ屋備忘録

を、デジタルは超望遠で斜め上、正面からいただいてみることにした。

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 通過時刻、定刻で赤い盾型のヘッドマークを掲げてカニ目の機関車が濛々と黒煙を上げてやってきた。煙のおかげでちょうど後補機のDE10は隠れており、旧客の屋根だけが見える。超望遠の構図の中で徐々に機関車が大きくなってくる。いまだ!夢中でシャッターを切った。

 このときはもう207号機が走ることを見ることは今後できないものだと思っていた。が、現在このC11-207は東武鉄道に譲渡され、2017年夏から運行されるSL列車「大樹」の牽引に使用されることになっており、目下訓練が続けられている。そのうち、東武線に彼を見に行くのもいいかもしれない。

Report No.78 静寂

 稲沢から関西本線の塩浜まで約10時間かける中央西線からの石油返空列車6287レというのがある。稲沢~塩浜は営業キロで約52km、つまり表定速度にして約5.2km/h。保線用モーターカーもびっくりな低速度である。もちろん、これはあくまで表定速度であって、実際にこの速度で走っているわけではない。稲沢を22時44分に発車後、途中列車交換などを行いつつ0時13分富田まで来ると、富田で朝6時25分まで夜間滞泊となる。更に、6時25分に富田を発車後、6時34分に四日市に到着するがここでも運転停車があり、7時21分まで四日市で停車している。その後塩浜に向けて出発となり、終点の塩浜には朝7時30分に到着する。つまり、実際の走行時間は2時間程度なのだ。製油所の荷扱いや待避などの都合上このダイヤになるのだが、なんとも亀の歩みのような列車である。

 さて、運転停車のため富田駅では6時間以上停車するわけだが、その間ずっとエンジンをかけているわけではない。到着すると割とすぐにエンジンが止められ停車措置を取られて朝まで留置となる。6287レは季節臨列車であって、ほかのDD51の運用と連動しているわけではないので、運用が読みづらい。だが、前日発翌朝着でしかも富田駅で停車しているので、夜のうちに富田に行けば翌朝の6287レの牽引機がわかる。1月5日に四日市に訪問した際、富田駅で6287レをバルブするついでに罐番を確認しに行った。

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 夜の静まり返った住宅街でエンジンの火を落とし暗闇に身を潜めていたのはDD51-1147だった。思っていたよりも光量がなかったが、無風だったこの日、長時間バルブにはもってこいだった。バルブして確認してみれば元鷲別機関区所属機独特のラジエーターファンのクローバー板もきちんと前を向いているではないか。新年早々幸先のよい滑り出しとなった。

Report No.77 小旅行

 国鉄末期、大都市圏では新性能電車が導入され輸送改善がなされていたが地方電化路線はまだ数多く「ゲタ電」と呼ばれた旧型国電が現役で残っていた。旧型国電はいわゆる新性能電車とは性能が大きく違うため、運用上、保守上も制約が大きく、地方線区の輸送改善のためには旧型国電を新性能車両に置き換える必然性が出てきた。そこで地方線区向けに新しく導入されたのが105系であった。

しかし、折しも国鉄末期、国鉄の財政事情は苦しく、車両を新造する余力は十分にはなかった。そこで、余剰車両を改造して105系相当にすることになった。車両は主に常磐線運用から離脱した103系が対象となり、各地の地方路線へ導入されていった。そのうちの一つが和歌山地区に投入された車両は当初クリーム色にオレンジ色の帯を巻いた「春日色」という色をまとっていた。その後、和歌山線系統のみにこの春日色が残り、紀勢本線系統の105系はオーシャングリーンに白い帯という塗装に代わっていった。春日色の105系は通常和歌山線などの運用が主であり、新宮方面への入線は稀であったのだが、時たま検査の都合などで代走することがあった。2010年からは始経費削減策の単色化が始まり、春日色は随時オーシャングリーン単色に塗り替わっていった。単色化が進む中の2015年10月に紀勢本線トワイライトエクスプレス(

Report No.11 紀勢本線トワイライトエクスプレス<続> - ぽっぽ屋備忘録

)が運転されたとき、ちょうど春日色が紀勢本線代走運用に就いていたので海辺らしい風景で撮ってみることにした。

 やってきたのは、紀伊浦神付近の岬。岬にある漁港からは対岸の小さな港を望むことができた。背景には切り立った山、港には漁船も係留されているのでちょうど和歌山の海辺らしい風景だ。

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 しばらく待ってみるとお目当ての春日色105系がトコトコと駆けてきた。海、漁船、山、そして明るい春日色の車体。どこか懐かしい風景に心癒された。

Report No.76 転勤

 北陸新幹線長野〜金沢延伸開業はそれまで長野新幹線と呼ばれてきた北陸新幹線が本当の名前を取り戻した瞬間でもあった。同時に、それまで北陸方面と首都圏を結ぶ連絡網を担っていた特急列車、路線にとっては栄光の歴史の終わりを意味した。

 北陸新幹線延伸区間並行在来線となった北陸本線金沢〜直江津間はJRとしては廃線となり第三セクター鉄道へ移管となった。さらには、サンダーバード北越はくたかといった各種特急の運転区間短縮および廃止へ至った。

 この中で、それまで北陸、信越地方と首都圏への新幹線の連絡役を担っていた在来線特急「はくたか」の廃止により、北越急行に所属していた681系および683系は運用消滅のため北越急行からJR西日本へ移籍することになった。

北越急行に所属していた681系、683系と言えば、本家JR西日本所属車の少し地味目な塗装に対して白と赤を基調にしたスタイリッシュな塗装で「スノーラビット」の愛称の元、親しまれてきた。移籍にあたって、このスノーラビット塗装は随時塗り替えられることになったのだが、当時のJRの計らいなのか、移籍後数ヶ月間、スノーラビット塗装のまま「しらさぎ」の代走を務めていた時期があった。2015年5月2日、ゴールデンウィークの序盤、お昼頃にのこのこと起きてきて運用情報を検索してみるとどうやら夕方の「しらさぎ59号」にスノーラビット塗装の683系が入っているらしいということがわかり、大急ぎで支度し新幹線に飛び乗り北陸本線は坂田〜田村のストレートへ。この時期になるともうだいぶ太陽も北寄りに落ちるため前面にもいくらか日があたる。水の張られた田んぼのあぜ道に他のギャラリーの皆様の共に陣を張りスノーラビットを待った。

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 すかっ晴れの夕刻、踏切の音と共に赤い顔の転勤電車が軽快に北陸方面へかけていった。

 かつて160km/hで駆け抜けていた優等生たちも今や一介の特急車両になってしまった。時の流れとはいえ残念でならないと同時に「はくたか」の名前が北陸新幹線へ引き継がれたことは嬉しく思う。

Report No.75 みかんの丘

 みかんの花が 咲いている
 思い出の道 丘の道
 はるかに見える 青い海
 お船がとおく 霞んでる

 1946年に発表された日本を代表する童謡の一つ、「みかんの花咲く丘」の一節だ。この歌は静岡県伊東市をモデルにした歌で、太平洋とみかん畑の続く静岡の情景を情緒豊かに歌い上げている。さて、この歌自体は静岡県なのだが、みかん収穫量で見ると、和歌山県が日本一の生産量を誇る。和歌山県は有田川流域で生産される「有田みかん」などが有名どころだろうか。和歌山県に行くと、日当たりのよさそうな山々が開墾され整然とミカン畑が山肌に沿って広がっており、まさに「みかんの花咲く丘」といった情景なのである。

 そして、和歌山を走る幹線鉄道といえば三重から亀山から新宮を経て海側をまわり和歌山市駅に至る紀勢本線である。特に新宮~和歌山市間は海と山の間を縫って走るためカーブがきつく、一部特急列車が振り子車両で運転されている。2015年まで振り子車両は国鉄時代に導入された381系とJR化後に導入された283系の2種類あった。381系は和歌山市駅基準で新宮側先頭車にパノラマ展望改造車を連結したり、白浜アドベンチャーワールドのPR目的で一部車両にパンダを模したシートを導入するなど創意工夫を凝らしていた。そんな381系も、老朽化のため新鋭287系に置き換わることとなり、2015年10月30日をもって紀勢本線での運用から撤退した。 

 引退の迫ったあるとき、入院していた友人のお見舞いも兼ねてと友人に誘われて和歌山のすこし南、有田川周辺へ381系「くろしお」を撮りに行った。どこか和歌山らしい風景で381系が撮れぬものか、と現地で地図を確認しているとどうやら紀勢本線を見下ろす形でみかん畑の山々をバックに撮れそうな場所があるではないか。友人に落石や落ち葉まみれの細い山道を運転してもらいついた頂上から見下ろすと・・・どうだろう、有田川橋梁を一望できる俯瞰撮影ポイントだった。到着後十数分でちょうど381系「くろしお」がやってくる。いそいそと設営し通過をまつ。

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 しばらくして、柔らかい西日の中、381系「くろしお」が軽やかに駆けてきた。あいにくと「みかんの花咲く」季節ではなかったのが残念だが、ミカン畑に囲まれた谷合を走り抜ける381系の姿はどこか懐かしいものがあった。