ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

当ブログについて

当ブログではにわか鉄道好きの筆者による撮影の備忘録を書き連ねております。

乱文、写真の質ご容赦ください。

ご意見ご感想等、どうぞお気軽にお寄せください。

Report No.99 40周年

 衣浦臨海鉄道碧南線は今年2017年5月25日に開業40周年を迎えた。多くの鉄道会社ではそういった記念事があると臨時列車や車両基地公開などのイベントが行われることが多い。衣浦臨海鉄道も例外ではなく、イベントが行われるのだが臨海鉄道という性質上、貨物列車のみの運行であるので旅客列車が走るイベントは行われない。その代わりといってはなんだが、5月25日から5月28日まで、開業40周年記念ヘッドマークがつくことになった。

 碧南線で運転されているのは炭酸カルシウム輸送列車1本、フライアッシュ輸送列車2本で、炭酸カルシウム輸送の5570レはその後のフライアッシュ輸送列車2本(5571レ、5573レ)のための機関車送り込みを兼ねて重連で運転される。重連に率いられるのはホキ1000形ホッパー車で、最大16両が連結される。5571レ、5573レではこの16両が2回に分けられKE65単機牽引でフライアッシュを輸送することになる。こうなると、やはり重連でホキ1000形16両編成を率いてくる5570レが撮影対象としてはメインになる。

 個人的にはDD51の方が好みであるので、DD51がKE65の代走を務めるときは何度か訪れていたのだが、KE65が牽引する通常時はまだ訪問したことがなかった。HMがつくと聞いて少し訪問欲がくすぐられつつも、なかなか重い腰を上げられずにいると、26日夜に友人から天候もよさそうなので行かないか、とお誘いをいただいた。せっかくの誘いなのでと友人の車に同乗し一路碧南は明石陸橋へ。薄明るくなるころに場所取りをして友人の車でウトウトと朝日が昇るまで仮眠。そろそろ人が増えてきた頃、機材をもってセッティングを始めた。

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 練習列車がないのが痛いがなんとかこのくらいだろうという構図を見繕って通過を待った。この日は澄み渡るように晴れた日で光線条件はこれ以上ないほどに完璧だった。8時半を少しすぎたころ、KE65重連に率いられてゆっくりとホキ16両がやってきた。先頭にはもちろん碧南線開業40周年のHM。銀縁のHMというのがこれまた格好良かった。

 

Report No.98 復活

 蒸気機関車と言われて多くの人が真っ先に思いつくのはもはや代名詞にもなっている「デゴイチ」だろか。1935年に製造開始し、1950年の製造終了までに1115両が製造され、北は北海道、南は鹿児島まで配置され、全国どこでも見ることのできる機関車だった。それゆえ蒸気機関車の代名詞になれたのだろう。1115両製造されたうち、178両が保存されたが本線走行可能な動態保存機は最近までたったの1両、JR東日本の所有するD51-498のみであった(※注1)。そんな中、2014年にJR西日本は現在主にSL北びわこで使用しているC56-160が老朽化していることを理由にこれまで梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)で動態保存されていたD51-200を本線復帰させることを発表した。8620形8630やC62-2、C58-1などマニアックな機関車が多数所属する梅小路区の中からD51-200が選ばれたのはやはり蒸気機関車の代名詞だからだろうか。

  本線復帰にあたっては、老朽化、劣化していた部品が全面的に修繕され、SL北びわこの牽引を視野にいれ、ATS-Pが設置された。他には後方監視カメラの設置や、ライトのシールドビーム化、旋回窓の設置、金帯装飾の追加など外観に変化が生じている。

 2016年10月20日、満を持して本線試運転が行われる運びとなり、EF65に牽引され北陸本線へと試運転へ行くはずだったのだが、回送途中に炭水車が軸焼けを起こし試運転は中止になった。この後、数か月軸焼け故障の修繕を行い、2017年5月19日に本6線自走試運転が行われ、晴れて本線復帰となった。そして6月に入り、12系5両を連結したSL北びわこを想定した単独試運転3日と4日に行われた。

 6月4日は初夏には珍しく驚くほど澄んだ青空だった。夕刻、D51-200がEF65に連れられて梅小路へ帰ってくるという情報を知人からいただき、それならばシルエットでもどうかと思いたちふらっと東海道本線は稲枝~能登川へ赴いた。

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 ついてみると思ったより築堤が高くなく、構図に苦労したのだが、どうにか路肩に超ローアングルで構えて対処。ファインダー左端ぎりぎりに太陽が傾いてきたころ、ゆっくりとEF65に引き連れられてD51-200がやってきた。D51-200がこれからどんな活躍を見せてくれるのか、実に楽しみだ。

Report No.97 朝帰り

 鉄道車両は最近の軽量ステンレス車両やアルミ車両と呼ばれるような車両でも20トン以上の重さがある。一見骨組みだけに思えるコンテナ貨車ですら18トン以上ある。一般的な乗用車が1.5トン程度であることを考えればかなり重く感じられるのではないだろうか。だが、これだけの質量があっても自然の力には勝てないものだ。ひとたび強風となれば鉄道はたちまち徐行や運休を強いられることになる。過去には余部鉄橋列車転落事故や羽越本線特急脱線事故など風によって痛ましい事故が起こっている。

 琵琶湖の西岸を走る湖西線はその開通当時から比良山地より吹き降ろす局地風「比良おろし」に悩まされてきた。強風による運休は年間20回強に及ぶこともあり、1997年には比良駅に停車中だった18両編成の貨物列車のうち3両が脱線し横転する事故も起こっている。このため、JR西日本では2007年から強風で影響を受けやすい区間から優先的に防風壁を設置し、当該区間の運転規制風速の引き上げを始めた。今年までに和邇~北小松間の山側に防風壁が設置され、今年中にさらに近江中庄近江塩津間にも設置される計画になっている。今年防風壁の設置が予定されている近江中庄近江塩津のうち、近江中庄~マキノは野坂山地をバックに撮影できる湖西線の有名撮影地の一つである。設置されるのは山側なので特に問題ないように思えるかもしれないが、設置される防風壁は高さ2m程度、色は白と割と目立つ存在であり、これまでのようにすっきりと撮れるわけではなくなるのだ。

 梅雨入り宣言もされた後の6月14日、この日は梅雨とはなんのことやら青空が広がる天気だった。早朝に敦賀からDD51牽引のロングレール工臨返却、工9588レが運転されると聞いて友人たちに誘われるまま近江中庄へ赴いた。

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 小鳥たちのさえずりをBGMに朝露に濡れつつ構図を固め通過を待った。5時40分を少しまわったころ、マキノ方面から聞きなれたエンジン音がこだましてきた。澄み渡る青空の元、青々とした野坂山地を背景にDD51-1193に率いられてロンチキは京都に帰っていった。防風壁無しでこんな風景が撮れるのもあとわずか、なるべく多く記録していきたいところだ。

Report No.96 和製ICE

 JR九州の看板特急車両の一つといえば、「かもめ」と「ソニック」で使用される885系だろう。それまでの783系や787系とは対照的に白を基調とした流線形を意識し絞られた非貫通構造の先頭車デザインは、同時期の日本の車両の中でも群を抜いて洗練されているといっても過言ではないだろう。実は洗練されているのには少しばかりワケがある。885系のデザインは、ドイツ鉄道ICE-T、ICE3のデザインを元にしており、ICE-T、ICE3のデザイナーはというと、ロケットや戦闘機とも呼ばれたJR西日本500系新幹線をデザインしたデザイナーなのだ。ICEと比べると885系はライト形状や運転席まわりの雰囲気、連結器カバーなど似ている部分は多いが、各所にアレンジが加えられている。さしずめ和製ICEといったところか。

 登場時は「ソニック」用と「かもめ」用で編成が分けられており、ソニック用は前面窓周りと車体下部に青色の帯、かもめ用は黄色の帯が巻かれていた。また、それぞれ、ソニック、かもめのロゴが車体各所にあしらわれていた。ただ、これらは運用共通化のため2012年までに青色に統一が図られ、車体側面のソニック、かもめのロゴも撤去された。しかし、ノーズ部分に設置されていたソニック、かもめエンブレムだけは残されており、ちょっとしたチャームポイントのようになっている。

 以前、485系Do32編成のさよなら運転(Report No.56 南国淑女 - ぽっぽ屋備忘録)を撮影しに九州へ赴いた際、オマケで885系ソニック」を撮影することができた。

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 やってきたのは元「かもめ」編成、SM5編成。ノーズにあしらわれた「かもめ」のエンブレムがそれを物語っていた。第1編成登場からすでに17年が経とうとしているが、現代でも十分に通用する決して古くは見えない秀逸なデザイン。これからも末永く活躍してもらいたいものだ。

 

Report No.95 湖西線

 湖西線京都府山科駅から滋賀県近江塩津駅までを結ぶ日本海縦貫線を構成する路線の一つである。その名の通り、琵琶湖の西岸を走り、北陸と関西を短絡する路線になっている。短絡し、高速化する目的から、基本的に勾配19‰以下、一部例外を除き曲線の曲率半径は1400m以下、踏切なしとして建設されている。このため、基本的には築堤やコンクリート高架橋で構成されているのだが、近江塩津駅を出てすこし永原方に走ると、コンクリートの高架の途中にトラス橋が2つ連続して現れる。地図を見ていただければよくわかるのだが、線路は田畑を横切り山腹に近づいていくだけでトラス橋が架かっている部分に大きな川や谷が存在するわけではない。つまり、自然的な理由でわざわざトラス橋にする必要はないはずなのだ。そう、ここには人為的な理由がある。実はこのトラス橋の下には2つの古墳が存在しているのだ。建設時の調査が不十分だったためなのか、古墳の一部は橋脚に飲まれてしまっているのだが、大部分はトラス橋によって回避され残されている。

 高架橋とトラス橋が入り混じるこの区間湖西線の高規格さを象徴するような区間だ。5月の半ば、知人から近く金沢方面からのロングレール工臨の日中返却、工9588レがあると聞いて、ネットで撮影地を探していると特徴的なこの2連トラス橋で撮影している写真が出てきた。北陸方面との短絡線である湖西線で、”湖西線感”を強調しつつ金沢工臨の返却を撮れるとあればもう向かうしかない。光線角度を計算すると通過時間帯はちょうど順光。返却の走る5月29日の天気予報は晴れ。友人たちも誘って近江塩津へ。初夏の陽気の中、サンダーバードで構図を確認しつつDD51牽引の工9588レ通過を待った。

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 待つこと2時間ほど。2連トラス橋の向こうに赤い機関車が見えた。まだ全検明けで綺麗なDD51-1191に引き連れられてロンチキことチキ5500の10両編成がやってきた。2連トラス橋を抜けるその瞬間、それまでの汗がにじむような暑さも忘れて夢中でシャッターを切った。

Report No.94 土佐路

 およそ30年ぶりにサロンカーなにわが高知へ行く、そんなニュースが飛び込んできたのは2月の半ばだっただろうか。四国デスティネーションキャンペーンに合わせて5月13日から14日にかけて岡山~高知を1往復することが発表された。岡山から高知へとなると、経由するのは土讃線土讃線多度津から琴平までは比較的平坦な路線なのだが、琴平以南、特に讃岐財田~佃は猪ノ鼻峠を超えるため25‰の勾配が存在する山岳路線である。通常、車両側のブレーキ強化などをせず粘着運転を基本とする場合、本線上の勾配は35‰以下にしなければならないことを考えると、その約7割に相当する25‰の勾配はかなり険しいということがお分かりいただけるだろうか。

 そんな土讃線にサロンカーなにわが入線するとあって、「これはひょっとするとDE10の重連運転ではないか?」という考えが頭をよぎった。勾配を考慮せずとも、現在の土讃線は振り子車両2000系による特急南風が一日14往復最速120km/hで駆け抜ける特急街道であり、かつ全線単線のため、行き違いや追い抜きを考えるとダイヤは速達気味になるはずである。その意味でも重連運転は必要とされているのではないか、と、そんなことを考えていた。運転日直前に知人から重連運転だよ、との報を受け、2日ともの四国行は厳しいが往復片方だけでもと考えていた。するとさらに続報で、復路の多度津~岡山間はPFに瀬戸のヘッドマークをつけるとのこと。これは復路に行くしかないと友人たちを誘ってはるばる十数年ぶりに四国は高知へと赴いた。

 讃岐財田のカーブや塩入のカーブなども候補ではあったのだが、いかんせん有名撮影地だけにかなりの人出や場所取りがあると踏んで、高知県は土佐北川まで下った。現地に着いたのは朝の8時前頃。先客の方に挨拶をしつつ場所を見つけ、昼過ぎの通過を待った。

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 13時20分すぎ、撮影地の直前にあるトンネルの中からけたたましい轟音が聞こえてきた。続いてトラス鉄橋を車輪が叩く音。坂本龍馬とカツオをあしらった高知らしいヘッドマークを掲げてDE10重連に連れられサロンカーなにわがやってきた。