ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.114 新天地

 JR東日本では1993年以降導入した新形式には形式番号の頭にEを付与するようになった。これは東を意味する英語”East”の頭文字のEをとったものだ。国鉄の分割後、各社で形式番号を付与していく中で、番号だけの形式付与では形式が被る可能性が出てきたからだ。

 1997年、JR東日本の交直流両用特急電車として初めてEを頭に付けた車両が登場した。常磐線で「ひたち」として運用されていた485系を置き換えるために導入されたE653系である。高速感あふれる流線形高運転台の先頭車、編成ごとにことなる5色の帯色を採用するなど常磐線特急のイメージを一新させるものだった。だがそれももう20年前の話。2013年に常磐線運用から撤退した後は、耐寒耐雪改造を施され日本海側の新天地へと活躍の場を移した。偶然か必然か、かつてE653系485系常磐線から追い出したようにここでも老朽化した485系を置き換えることになったのだった。

 日本海側への転属では塗装がそれまでのものから大きく変更され、印象を一変させた。そのうち、4両編成で新潟~新井・上越妙高間にて運転される特急「しらゆき」に使用されるE653系は、その名に合わせ雪を思わせる白を基調に日本海と青空を表した2色の青の帯、そして日本海へ沈む夕日をモチーフにしたオレンジ帯をあしらった塗装になった。

 個人的にはE653といえばやはりフレッシュひたち時代の塗装が一番なのだが、このしらゆきの塗装はかつて特急「かがやき」で運用されていた485系の塗装を彷彿とさせる部分があり、かなりストライクゾーンに響く塗装だった。この「しらゆき」を偶然撮れるチャンスがあり、撮影したのが下の一枚だ。

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 新潟電車区485系T18編成が引退する際に団体臨時列車が運転されたのだが、これを撮影しに行った折に前走りでやってきた「しらゆき」を撮影することができた。水平線まではっきりと見える五月晴れの中、友人たちと信越本線笠島~米山の俯瞰に陣をはり485系を待っていた。そんな中やってきたのがスノーホワイトのボディのE653系「しらゆき」だった。5月の山々に緑あふれる中、日本海を背に走り去るその姿は、日本海縦貫線に少し新時代の到来を感じさせた。

Report No.113 夏休み

 子供時代、夏休みとなると心躍った方も多かったはずだ。そして家族や友達と海水浴に海に行った方も少なからずいるだろう。そんな海水浴客のために夏の特定期間だけ開業する駅が四国にある。牟岐線田井ノ浜駅は、田井ノ浜海水浴場に隣接する臨時駅で、海水浴場の利用客数がピークを迎える時期にだけ列車が停車するようになる。例年、田井ノ浜駅は7月中旬から8月の初旬に開設され、開設期間は一部特急も停車する立派な駅になる。

 鉄道と海、特に海水浴場というテーマを撮ろうと思うと、実のところ案外そういった場所は限られてくる。さらにそれに加えて非電化路線となると殊更場所が限られてくる。そこで目を付けたのが田井ノ浜駅だった。田井ノ浜駅の位置する場所は少し奥まって湾のようになっており、駅からあるいて15分ほどのところの岬の展望台へ行くと海水浴場と駅を見渡すことができる。思い描いていた夏の鉄道風景として理想形がそこにあった。

 そうと知ればもうあとは行くだけだ。だが、気付くのが些か遅く、田井ノ浜駅の営業期間は既に終わっていた。しかしながら、世間でいえばまだまだ夏休み、SNSなどで情報収集してみるとまだまだ海水浴客は多くはないが訪れているようだった。一か八か、晴れの日を狙って四国は徳島へ向かうことにした。 

 狙うは牟岐線の特急「むろと」だ。むろとで主に使用されるキハ185系は四国色と呼ばれる水色の帯をあしらったものでまさに夏にぴったりの被写体だ。お盆明けの8月19日、気温30度を超す猛暑の中、大粒の汗を流しながら岬の展望台へ上った。

 9時を過ぎたあたりから徐々に海水浴客が増え始め、大勢というわけではないが”夏”を演出することができ始めていた。2本ほど普通列車が行ったあとはついにお目当てだ。

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10時半過ぎ、浜辺に海水浴客が増えてきたところでキハ185系特急「むろと」が軽快に走ってきた。さんさんと降り注ぐ太陽のもと、青く透き通る海、白い砂浜、海水浴客、そして非電化路線を走るディーゼルカーと求めていた条件すべてがそろった。

汗を拭くのも忘れて茂みから列車が出てきたところで夢中でシャッターをきった。

Report No.112 帰郷

 大陸鉄道の醍醐味の一つといえば、やはり島国たる日本ではお目にかかれない国際列車だろう。もちろん定期の国際列車もあれば臨時、団体の国際列車もある。各国、電化方式や信号方式など様々な違いこそあれど、陸続きでかつ線路幅が同じというだけで様々な国の様々な列車がやってくる。

 ドイツを中心に運転される団体旅行列車にAKEラインゴルトというものがある。以前取り上げた保存会によるラインゴルト号の運転(Report No.105 ニーベルンゲンの宝 - ぽっぽ屋備忘録)とは違い、こちらはツアー会社がラインゴルト客車を保有しており、ライン川沿いを運行するツアーを主として運用されている。ドイツ国内の運用が多いのだが、時折、オーストリアやスイスといった近隣諸国へ足を延ばすツアーが運転されることがある。牽引機は場合によってまちまちだが、基本的にはクリームと赤のツートン塗装、いわゆるTEE塗装のE10型電気機関車が担当することになっており、客車も同じTEE塗装になっているので牽引機さえそろえば往年のラインゴルト号さながらの走行を拝むことができる。

 今夏のヨーロッパ遠征では、ちょうど帰国前日の9月17日に運転があることがわかっていた。今回はAKEラインゴルトがオーストリアへのツアーからラインゴルトがドイツへ帰ってくるということであったので、フランクフルトから夜通しICEで移動しミュンヘン経由で遥々オーストリア国境近くの田舎町、Überseeまで足を延ばした。あいにく低い雲が垂れこめる天気で、9月というのにもういかにも秋の終わりかと思うほど寒い気温であった。Übersee駅から歩くこと20分ほど、農道わきの線路沿いで撮影することにした。本来はもう少し歩いた場所にある俯瞰撮影地に行こうかと考えていたのだが、あいにくの天気と気温とあって、駅近くでお茶を濁すことにしたのだった。

 さすがオーストリアとドイツを結ぶ幹線とあってひっきりなしに貨物や旅客列車がやってくる中、AKEラインゴルトの通過を待った。事前に手に入れていた時刻から予測すると大方昼過ぎごろの通過と思われた。

f:id:limited_exp:20171210172426j:plain 時折冷たい雨に打たれながら待つこと4時間。読み通りの時間帯にAKEラインゴルトはやってきた・・・のだが何かおかしい。近づいてきてようやくその違和感の理由がわかった。機関車がE10ではなくベクトロンシリーズと呼ばれるシーメンス製の量産型新型電機だったのだ。いささか落胆しつつ保存車両とは思えぬ快速っぷりで飛ばしていくのを見送った。後から聞くところによればこの塗装は特別塗装で、数機しか同様の塗装はいないらしいので、得をしたといえばしたことになりそうだ。次回渡欧時に運転があればぜひともE10牽引のAKEラインゴルトを撮影してみたいものだ。

Report No.111 冬光線

 山陽方面へのレール輸送は、大抵の場合、宮原区常駐の下関区所属EF65-1000が牽引するのだが、時たま宮原所属のDD51が牽引に充当されることがある。だが、山陽本線方面のレール輸送のダイヤは夜もしくは早朝に向日町に帰ってくるものが多く、日が長いうちしか撮れない。東海道本線を上って早朝に向日町に帰ってくるダイヤにはいくつかあり、5時00分着、5時55分着、6時06分着、7時12分着などがある。夏場であれば、5時台のダイヤでも十分撮影することができるのだが、冬至が近くなってくると当然ながら日の出、日の入りが早くなり日中の太陽高度もかなり低くなり、撮影できるものが限られてくる。この状況では、天気とDD51の運用とダイヤという3要素がきっちり合致しなければ、撮影できないわけで、なかなかに難易度が高い。

 そんな折、友人から11月28日に向日町7時12分着でDD51牽引の山陽方面ロングレール輸送の返却があるらしいとの報をもらった。この時期、日の出は既に6時後半なのでかなり厳しい条件に思えた。11月28日の京都の日の出時刻を調べると、6時43分。撮影できる場所といえば山崎駅界隈だが、夏に撮影したデータなどを見返していると通過は7時過ぎ、太陽高度を調べてみると当該時刻の高度は4度程度。なんとも厳しい露出条件だ。だが晴れならば期待はできる。

 当日は凍えるように寒かったが雲一つない快晴。始発1本あとの列車に乗って山崎駅へ向かった。駅で友人と落ち合い、定番のサントリーカーブ奥の撮影地へ。ついてみるとまだまだ線路は影の中。あと30分で影が抜けるのだろうかと心配しながら設営。しばらく待っていると先頭がくるであろう切り位置あたりはレールに日が差してきた。編成途中に落ちる影はもうあきらめるしかないが切り位置に光が当たったのはうれしい。サンダーバードや貨物が行った後はついに本番だ。

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 島本方面から2灯のライトを輝かせ赤い機関車が邁進してきた。前面2/3面にあたる赤い朝日、揺らめく排気、エンジンの咆哮、空荷のチキの軽いジョイント音。冬の朝に素晴らしい朝練ができた。

Report No.110 Guten Morgen

 日本では既に絶滅危惧種とすら言える機関車牽引の客車寝台列車だが、海を渡った諸外国ではまだまだ全盛のところもある。中国やロシアならば大陸を横断するような夜行列車が数多く運転されているし、数を減らしてきてはいるもののヨーロッパでもドイツ発スイス経由オーストリア行のような国際寝台列車が運転されている。

 大陸で運転されている寝台列車の多くが客車列車なのは理由がある。一つ大きな理由は、国同士が陸続きで鉄道がつながっていても各国の鉄道の仕様が異なることがあげられる。例えば、電化方式だけでみてもドイツ、スイス、オーストリアは主に交流15000V、16×(2/3)Hz電化だが、イタリアでは直流3000V電化、オランダでは直流1500V電化と様々な規格が混在している。更に、各国によって要求される走行性能も異なる。オランダのような平坦な土地が多いところでは山岳向けの高出力車両はあまり必要ないが、スイスやオーストリアなどアルプス越えが存在する鉄道では高出力の山岳向け車両が必要になる。こういった様々な仕様を考えた場合、複数電源に対応した車両や汎用性の高い走行性能を持たせたを製造するよりも、汎用客車を用いて国ごとに機関車を付け替える方法をとる方がよっぽど安上がりなのだ。

 ヨーロッパ圏内で運転されている寝台は種々あるが、そのうちオーストリア連邦鉄道(ÖBB)が運行しているものはNightjetというブランドで運行されており、ドイツ、スイス、オーストリア、イタリアで運行されている。また、その他クロアチアなどへ向かうものもナイトジェットパートナーとして運行されている。このうち何本かはスイス国内を早朝通過するものがあり、欧州遠征中にぜひともスイスで記録したいと考えていた。向かった先はスイスとリヒテンシュタインの国境の街、Sevelen。ここはスイスとリヒテンシュタインの間を流れる川に沿って谷間になっており両岸にはいかにも中央ヨーロッパらしい山々が連なっている。ここを早朝通過するのはEN464列車とEN466列車なのだが、訪問した9月14日は山影の都合上、EN464列車のみがベストコンディションで撮れる状況だった。

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 前日にボーデン湖のほとりのアルボンに宿を取り早めに就寝。早朝、まだ暗いうちから電車に乗って凍える寒さの中Sevelenの駅に降り立った。幸先よいことに空は雲一つない快晴。吹き付ける風に震えながら農道の脇の撮影地に着いた。まだ山影のうちから構図確認などをしていると前走りでEN466列車が通過していった。そしてそこから待つこと約1時間、鋭い朝日に鼻筋を浮かび上がらせてRe420牽引のEN464列車がやってきた。故障なのか前パンタが半上がり状態なのが些か不満ではあるが朝の素晴らしい光線の元撮れたことで大変満足だった。この後は少し撮影を続行したのち、翌日のVSOE撮影(Report No.104 走る舞台 - ぽっぽ屋備忘録)に向けてWassenへとコマを進めたのだった。

Report No.109 Rainy Day

 東京の中心部をぐるりと一周する山手線。現在主力の車両はE231系500番台だが、後継となるE235系が2015年から営業運転を開始し、今年2017年からはE235系量産車の営業運転が始まり、続々とその勢力を増やしている。11月11日現在、既に11本のE235系が営業運転についており、E231系500番台が山手線から去る未来もそう遠くないだろう。

 山手線を黄緑色の帯を纏った205系が走っていたのが12年前、そう考えると最近の車両のように思えるE231系500番台も少し古く感じる。E231系500番台の白を基調とした前面デザインはそれまでの質実剛健なデザインの205系に対してスタイリッシュさを感じさせ、新時代の到来を感じさせるものだった。デジタルATCの搭載、準電機ブレーキなどの新しい技術を導入し運行面での新時代を築くものでもあった。更に、それまで205系では方向幕は「山手線」固定表示であったのに対し、山手線表示に加えて、走行区間に応じて行先方面を表示する機能が追加されたり、車内情報ディスプレイが設置されるなど旅客サービスの面でも改善がなされた。

 だが、更なるサービス向上のため今後はE235系によって置き換えが進むことになり、他線区へ新天地を求めることになる。個人的には山手線というと205系E231系500番台が混在して走っていた時代の印象が強く、いまだに東京へ行くとE231系に交じって黄緑の205系がやってこないかと来ないとわかっていても思ってしまう。205系なき今、まさにE231系500番台は自分にとっての山手線の顔であり、完全撤退まで時間のある今のうちに記録しておきたいと思っていた。そんな時、所用で東京へ行くことを言い渡されたこともあり、予定の全日に東京入りし山手線で撮影することにした。しかし、ふたを開けてみると当日は台風が接近しており、決してベストコンディションというワケではなかった。だがこんな時だからこそ撮れるモノもある。せっかくなので豪雨の中走る姿を狙うべく駒込駅に向かったのだった。f:id:limited_exp:20171109233910j:plain

 ひっきりなしにやってくる山手線。気づけば、まだまだ少ないものの結構な確率でE235系がやってくる。未来の足音はすぐそこまで来ているようだった。E231系500番台の方向幕は山手線単独表示と行先方面+山手線表示が周期的に切り替わるため後者を撮るため何本か粘る必要があったが雨脚が一番強くなった時、お目当ての表示で”山手線の顔”を撮ることができた。少し雨に濡れたがこれもまた将来いい思い出になるかもしれない。

 

 

Report No.108 2000mm

 蒸気機関車の性能を語る際、しばしばその動輪直径が話題に上がることがある。これはなぜかというと、実は蒸気機関車の場合、その動輪直径によって最高速度が左右されるからである。蒸気機関車は、まず燃料を燃やしてその熱で水を沸かし、蒸気を発生させる。そして、その蒸気をピストンへ周期的に送り込むことによって往復運動を取り出し、これを動輪同士を繋ぐ金属棒へ伝える”クランク機構”を用いて回転運動、そして牽引力へと変換する。このような熱機関と機械構造の組み合わせで石炭と水から回転運動を生み出している以上、ボイラーやピストン、クランクの材料特性や構造特性からして許容できる回転数には限界がある。ピストン・クランク機構から得られる単位時間当たりの回転数の上限が決まっているとすると、同じ単位時間当たりの回転数で速く走るためにはどうすればよいだろうか。速さとは単位時間あたりに進む距離であるので、同じ回転数でより多く進もうとするとそれはつまりより大きな動輪を設定するほかないのである。そこで蒸気機関車の設計においては速さが求められる際には大動輪が用いられるようになったのである。

 さて、日本の蒸気機関車の場合、最大動輪径はC51などで採用された1750mmである。国内で見ればこれが最大なのだが、国際的にみれば1750mmという動輪径はどちらかというと大型ではなく標準的とでもいうべきサイズである。海外の蒸気機関車を見てみると、線路が高規格であることや大きな建築限界を生かして2000mm以上の動輪を持つものが数多く開発されている。

 ドイツ国鉄が開発した03型蒸気機関車もまた2000mm動輪を持つ急行旅客用蒸気機関車である。03型はかの有名な01型蒸気機関車を元に設計された機関車で、軸重制限のある路線へ入線可能にするため軸重18トンとして再設計され、台枠の変更、ボイラーやピストンの小型化を行い軽量化を図ったものになる。つまりは01型の妹分にあたる機関車である。03型は298両と大量に製造されたため、9機が保存されているのだが、改良機である03.10型は60両しか製造されなかったため、保存機は2両しかなく動態保存機は1両のみである。そんな貴重な03.10型がラインゴルト(Report No.105 ニーベルンゲンの宝 - ぽっぽ屋備忘録)が運転された同日、同路線で後追いで運転されると知り、ラインゴルト通過後もしばし撮影を続行した。

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 ラインゴルト通過後も晴れ模様は続き、ラインゴルトからちょうど1時間後、ドイツ蒸気特有のハスキーな野太い汽笛と力強いドラフト音を響かせて03-1010が客車6両を率いて猛進してきた。標準機蒸気とだけあって通過速度は日本の比ではない。大きな2000mmスポーク動輪とその巨体で大地を揺らして華麗に走り去っていった。