ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.54 孤城落日

 はるばる北海道は五稜郭機関区から川崎重工へDF200-123が入場し、その後愛知機関区へと転属となった。そしてつい先日よりDF200が深 夜の本線試運転を開始した。DD51最後の牙城であった愛知機関区にも既にDF200用研修設備が設置されており、置き換えの日が刻々と近づいている。 2015年には大宮工場で最後となるDD51の全検が行われ、愛知機関区に所属する多くのDD51が半ば定期的に休車を繰り返し検査期限の延長を図ってお り余命いくばくもないといった状況である。更に今年に入ってからは元鷲別機で休車となっていた1146、1147、1156号機が稼働を開始したため、こ れまで在籍していた車両の運用離脱や廃車解体が相次いでいる。

 そんな愛知機関区に所属するDD51のうち、825、853号機は800番 台車初期車とあって切り抜きナンバーの車両である。かつての国鉄型機関車と言えば、多くの車両で切り抜きナンバーを使用していたのだが、切り抜きナンバー では保守の手間がかかることから1976年ごろから新造機関車のナンバーはブロック式と呼ばれる形態に随時変更されていった。切り抜きナンバーは、切り抜 かれた金属板のナンバーが直接車体に接合されている形態であるため、塗装する際や改番する際に取り外すことのできるブロック式と違ってマスキングや位置変 更を行う手間が増えることになる。また、保守だけにとどまらず、腐食が著しかったこともブロク式へ移行した要因のようである。

 先日853 号機と同じく原色機でかつ切り抜きナンバーであった852号機が運用離脱したため、ついに残る現役原色切り抜きナンバー機は853号機のみとなってしまっ た。去る2016年8月30日、朝の石油返空貨物である5263レに853号機が充当されたため、友人たちと共に四日市へと出向いた。今の季節、5263 レは石油需要の関係から単機運転であるため、重連運用の際のように前機運用か後機運用であるかを気にする必要がないので運用に入ってさえしまえば確実に撮 影することができる。

 当初は近鉄海山道駅付近のポイントに目をつけていたのだが、少し気になってみてみた近鉄塩浜駅跨線橋からのアングルが思いのほか格好良く狙える構図であったので試してみることにした。f:id:limited_exp:20160831203340j:plain

  石油需要閑散期であり冬のように季節臨便の運転はないので一発勝負となる。7時ごろから構図を練りはじめ延々と試写と調整を繰り返した。時刻は8時14分 になろうかという頃、塩浜駅北側の踏み切りが閉まり画面奥から赤い機関車がタンク車14両を引き連れて下ってきた。列車は塩浜駅構内に入り少しして前照灯 を消灯、そのままゆっくりと誘導員のいる停止位置まで進む。真東を少し南に回った光線がDD51の特徴的な鼻筋を浮かび上がらせた。停止位置に止まる 20mほど前、夢中でシャッターを切った。

Report No.53 瀬戸内イエロー

 機械は色々な材料を用いて作られるが、その中でも最も一般的なものといえば鉄鋼材料だろう。鉄鋼材料は安価でかつ強度のある材料で、そしてその強度やその他特性を含有成分や製鉄方法、後処理などによって変化させやすいため様々な機械に利用される。鉄道も例外ではなく、初期の木製車両などを除けば、かつての鉄道車両と言えばほとんどが鉄鋼材料で作られていた。しかし、鉄鋼材料は安価で強度があり性質を調整しやすい半面、一部の特殊鋼を除き錆びやすいという欠点がある。このため、鉄鋼材料を使用する機械は外装を塗装することによって材料表面を保護し錆びないようにする必要がある。機械が大きくなればもちろん塗る面積も増えるのは当然であり、塗料の劣化を考慮して定期的に塗りなおす必要があるため、塗装費用が嵩むことは無視できない。

 鉄道車両にとって塗装といえば車両や路線を特徴付ける大きな要素であるが、複雑な塗り分けや色の多い塗装は人件費および塗料費が嵩むため保守費用を高騰させる要因になる。近年ではステンレス鋼材やアルミ合金材などの製造・加工技術進歩によってステンレス鋼車両やアルミ合金車両が増えつつあるが、これはステンレス鋼やアルミ合金は鉄鋼材料にくらべて錆び難いためである。

 JR西日本では2010年から塗料費用の削減を目的としてそれまでの複数色を使った塗装をやめ、その路線の地域ごとに色を設定し、単色で塗ることを決めた。七尾線は赤、北陸地域は青、紀勢地域は青緑、京都地域は緑、中国地方は黄、気動車は朱として定められ、一部の車両を除いて検査入場に合わせて随時塗り替えが行われている。山陽本線広島地区で活躍する115系もこれに伴って黄色に塗り替えが進められている。塗り替えが発表されたあたりから、ファンには「末期色(まっきいろ)」などと揶揄されているが、「瀬戸内海に反射する陽光」をイメージしたとされる黄色の塗装は存外悪いものでもないのではないだろうか。

 

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 先日、115系を使用した快速ひろしまシティーライナーを撮影しに広島へ赴いた際、黄色の装いになった115系も撮影した。シティーライナーの前走りでやってきたのは115系L-04編成だった。いわゆる製造後40年間使用を目的とした体質改善40N改造車4両で構成される編成である。窓サッシの交換、車内設備の223系相当品へ更新(現在はシートモケットが225系モケットへ変更されている)、ベンチレーターの撤去、雨どいの埋め込みステンレス鋼板化、ドアエンジンの交換などなど多岐にわたる更新工事を受け、さらにはテールライトレンズのクリアレンズ化が行われ、そして今黄色の装いとなって活躍している。

 新鋭227系の増備によって瀬戸内イエローの国鉄車たちは徐々に活躍の場を狭めつつある。遠くない将来、彼らもまた記録の中の存在になるだろう。最後の日まで、黄色い栄光を輝かせ活躍してほしいものである。

Report No.52 みにくいアヒルの子

 日本の鉄道技術の結晶とも言える新幹線。東海道新幹線に始まり、今では北は北海道・新函館北斗から南は九州・鹿児島中央までを結び日本列島を縦断する一大輸送網を形成している。

 新幹線網の拡大とともに新幹線車両も変化してきた。団子鼻に例えられた0系に始まり、シャークノーズと呼ばれた100系、くさび形のフロントマスクで初代のぞみとして活躍した300系、ロケットのようだと言われた500系などなど、高速性と静音性を実現するため、新幹線の形状は日々進化してきた。多種多彩な先頭形状をもつ新幹線車両のうち、登場時、それまでに類を見ない特異な形状から「カモノハシやアヒルのようだ」と揶揄された形式があった。700系である。
 それまでの新幹線車両は弾丸列車の名のごとくすっきりとした流線型のデザインだったのだが、700系ではアヒルのくちばしやカモノハシのようにのっぺりとした先頭形状となった。しかし、この形状にはもちろん意味があった。
 高速で新幹線がトンネルに突入すると、トンネルの出口側では急激なトンネル内部の気圧変化に伴ってドーンという音が発生する所謂トンネルドン現象がおこる。トンネルドン現象はトンネル微気圧波とも呼ばれ、これの発生を抑制するためには、進行方向に対して投影断面積の変化率を一定、かつ最小にする必要がある。500系ではこのために27mの車体に対して15mにも及ぶロングノーズと円形車体で対応したわけだが、これは客室容積の現象、および先頭車両の定員の減少という欠点を抱えていた。そこで、700系では500系と同等の対策効果を500系よりも短いノーズで実現するためにエアロダブルウィングと呼ばれるカモノハシ形状のノーズを採用したのである。
 一時は300系とともに東海道山陽新幹線の顔として活躍した700系だったが、後継であるN700、N700Aの導入により徐々に数を減らしつつあり、2020年には更にN700Sの導入が始まるとも言われている。

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 この写真は、一昨年ふらりと立ち寄った京都〜米原間の東山トンネル山科口側付近の跨線橋で撮影したものである。下り運用につく700系と上り運用につく700系がうまく画面内ですれ違ってくれた。カモノハシと揶揄された一族がここ ですれ違わなくなるのも遠い日ではないだろう。

Report No.51 赤ひげの山賊

 日本の鉄道史は山との闘いであったと言っても過言ではないだろう。環太平洋造山帯に位置する我が国は、国土のおよそ2/3が山地であり、残り1/3の平地に数々の都市が点在している。つまり、これらを鉄道で結ぶことは山をいかにして攻略するかということになるのである。距離は伸びるが山を避けて裾野を回り込む方法、建設費はかかるが長大トンネルを掘り山を貫く方法、スイッチバックループ線などを用いて峠を越える方法、勾配はきつくなるが直線的なルートで峠を越え、補助機関車を用いる方法などなど様々な方法で日本の鉄道は手を変え品を変え山を攻略してきた。特に、山を避けて裾野を回り込む方法は、建設費が安く済み、かつ峠を越える場合には距離が長くなるため勾配を緩くすることができるので山岳路線では多用されてきた方法である。ただし、この方法の場合、距離が長くなると同時にカーブが連続するため速達化することが難しい。

 カーブが連続する路線の速達化は国鉄の頭を悩ませることになったわけだが、車体傾斜装置を実用化するという方法で解決を図ることになった。国鉄ではヨーロッパで1940年代から研究開発が行われ、実用化されていた油圧シリンダーを用いた強制車体傾斜装置ではなく自然振り子方式を用いた特急車両を開発することとなり、1970年、591系交直両用自然振り子試験車を試作し東北本線羽越本線鹿児島本線中央本線などで試験運転を行った。そして、これらの試験運転から得られた結果より、1973年、満を持して381系直流特急電車が誕生した。

 中央本線「しなの」、紀勢本線「くろしお」、伯備線「やくも」などカーブの多い線区で振り子を生かし活躍してきた381系だが、近年では新型車への置き換えが進んでいる。2016年3月ダイヤ改正では、287系導入で「くろしお」から押し出される形で福知山区へ転出した編成が289系の導入によって運用を離脱、随時廃車または米子電車区へ再転属となった。

 289系による置き換えが発表され、2015年の夏も終わりに近づいた9月14日、気象衛星の画像を見ると亀岡方面は晴れているようだったので381系の運用である山陰本線下り、きのさき13号5013Mを狙いに保津峡~馬堀の馬堀カーブへ赴いた。この日の運用はFE65編成の増結なし4両であったので、縦構図で切り取ることにした。

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 傾きを増すにつれ朱色を増す晩夏の太陽は雲隠れすることなく舞台を照らしてくれている。17時45分、トンネルからモーターの轟きが聞こえてきた。朱色のステージライトの中、国鉄色を翻して赤ひげの山賊が駆けてきた。ファインダーの中でまぶしく反射する夕日、今だ!無我夢中でシャッターを押した。

Report No.50 Give me chocolate!

 Give me chocolate!

言わずと知れた戦後日本を象徴するフレーズである。当時の飢えた子どもたちにとってそれまで日本でほとんど流通していなかったチョコレートの甘くほろ苦い甘美な味は新鮮で格別であったに違いない。
 同じ頃、国鉄の機関車や客車は「ぶどう色1号」という色で塗られていた。これに対して、進駐軍専用列車として接収された客車はミルクチョコレート色に塗装することとなり、「ぶどう色1号」よりも明るい赤みの強い茶色として「ぶどう色2号」が制定された。国鉄の客車は以後ぶどう色1号に変わってぶどう色2号で塗装されるようになり、一般には「チョコレート色」として浸透することになった。
 その後、10系客車や20系客車といった軽量客車や新系列客車が登場し、ぶどう色2号で塗られた客車たちは旧型客車と呼ばれるようになった。昭和39年からは一部旧型客車は陳腐化のため大規模改装が実施され、青15号で塗られるようになりチョコレート色の車両は減少していった。しかし、今でも客車といえばチョコレート色の旧型客車たちを連想する人々は多いのではないだろうか。
 現在では老朽化などのため走行可能なのは少数となった。JR東日本 高崎車両センターにはそんな希少となった旧型客車7両が在籍している。去る2016/8/8、この旧型客車のうち5両を使用して高崎車両センター所属のDD51プッシュプル牽引による信越本線高崎〜横川間の訓練が行われると聞いて友人たちとはるばる高崎まで赴いた。
 訓練は2往復行われる設定であり、朝の1往復を撮影した後、2往復目の往路を安中鉄橋で狙った。
 朝の往路も安中鉄橋で撮影したのだが、昼に来てみれば遮るものの少ない河原に隣接した撮影地とあって焼けるように暑い夏の日差しが降り注いでいた。止めどなく溢れでてくる汗をぬぐいながら設営。しばし車で涼を取り再び設営場所へ。

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今か今かと通過を待ち受ける。対岸のカーブの奥でキラっと何かが光った。高崎所属DD51の特徴であるお召し仕様の銀煙突だ。遅いというほどでもないが快足というほどでもない旧型客車そのものというような足取りでお召し仕様DD51-895に牽かれ同888号機にしんがりをまかせ7両編成の豪華(?)訓練列車が鉄橋を渡ってきた。DDの窓は全開、夏をしみじみと感じる中シャッターを切った。
 

 

Report No.49 藍の翼を纏いしもの

 583系といえばかつては全国を昼夜問わず駆け巡っていたわけだが、向日町に所属していた車両たちが引退し、現在は秋田車両センター所属のN1+N2編成6両のみとなった。紅葉真っただ中の一昨年秋、11月27~28日にかけて秋田から京都への観光団体列車として秋田の583系が運転されると聞いて撮影に出向くことになった。

 2014年当時、秋田など東北方面から関西方面への最短経路は奥羽本線羽越本線信越本線北陸本線湖西線、を経由するいわゆる日本海縦貫線ルートであった。このうち、北陸本線直江津から金沢までの区間は2015年3月の北陸新幹線長野-金沢間の延伸によって第3セクターへの移管が決定しており、開業後は特急サンダーバードの運転区間短縮、特急はくたかの廃止などが予定されていた。

 第3セクター鉄道へ移管されるとなると、当該区間はJRの所有路線ではなくなるため、通過するためには線路使用料を支払う必要が出てくる。このため、多くの場合、JRでは第3セクターへ移管されると線路使用料を支払わずに済む代替迂回ルートを使って運行することになる。これによって多少運転時間は伸びるものの、利益率を維持することが可能だからである。

 ゆえに、北陸新幹線開業を間近に控えたこのときの583系の来京は、おそらく583系日本海縦貫線を用いる最後の運用となる可能性があったため、眠い目をこすりつつ友人の運転する車で夜更け前から北陸本線の南条~王子保へ向かったのだが、あいにく太陽の方角は薄雲がかかっておりトロ火での通過となったため、その後敦賀停車を利用して追っかけ、湖西線はマキノ~近江中庄のインカーブへと向かった。

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EOS50D SIGMA 50-500mm

 福井県内とはうって変わって滋賀県内は澄み渡る快晴、冷え切った初冬を感じる気温の中、所せましとギャラリーの皆さまと肩を寄せ合い場所を確保。マキノ駅方面の高架橋にちらっと3灯のヘッドライトとクリームと濃藍の翼が見えた。高規格路線を製造40年超とは思えない快足でその翼は駆け抜けていった。

 記憶が正しければ、この時の来京より後、関西方面への運用は東海道本線経由となっており、日本海縦貫線経由の運転実績はないので、このとき撮影に行っておいたのは間違いではなかったようだ。

Report No.48 遠回りするレール

 ロングレール輸送には主にチキ5500形貨車が使用される。チキ5500はレール緊締車、中間車、レール取り卸し用のスロープを備えるエプロン車と呼ばれる2種類があり、5~12両程度の編成単位で運用される。JR西日本に所属するものは、エプロン装置付きの5500番台は編成の片端のみに連結されていることから、レールを取り卸すために必ずこの5500番台を進行方向に対して最後尾にする必要がある。

 ロングレールは吹田総合車両所京都支所に併設された向日町レールセンターから搬出されるわけだが、大阪環状線外回り方面へレールを運ぼうとする時、配線上の都合から向日町から東海道本線を上り、奈良線関西本線経由で送り込むと帰りは西九条から梅田貨物線を経由させて東海道へと戻れば、遠回りではあるが、機回しすることなく、エプロン車を最後尾にしたまま一回りで向日町へ帰ってくることができる。

 去る7/30夜、奈良線方面へDD51牽引のロンチキ編成が走ったとの情報と、環状線外回りで取り卸しが行われているらしいという情報を得て、早朝、返却されてくるのを狙うため友人と島本~山崎のカーブへと向かった。撮影地についてみると、あいにくと朝日の昇る方向には薄雲がかかっており快晴とまではいかない様子だった。早朝の貨物が2本ほど通過した後、はるか向こうに見える島本駅の影から2灯のDD51のヘッドライトが輝くのが見えた。普通電車はまだ来ていない。大丈夫そうだ。

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 薄雲で全開露出とはいかないものの夏にしては柔らかい朝日を浴びてDD51が窓に朝日を反射させてやってきた。唸るエギゾースト音、カーブをしなやかになぞるロンチキ編成、ブレックファーストとしては十分すぎるものだった。