ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.155 Baureihe 01

 ドイツの蒸気機関車を語るうえで外せないのが01形だろう。赤く塗られた直径2000mmという大型の動輪と威圧感のある大型のボイラー、英国の蒸気機関車のような芸術品のような美しさと対照的な工業製品としての工芸品のような美しさがこの機関車が長きにわたり人々を惹きつけてやまない理由のなかもしれない。

 200両以上が製造された01形は、現在も数両の01形がドイツおよび周辺国で動態保存されており、原形・改造機等々形態こそ様々であるが時折その雄姿を見ることができる。そういった動態保存機の中のひとつが01形202号機だ。01形でも最終増備群の5次車の1両であり、5次車唯一の動態保存機である。202号機は現在スイスの保存団体、Verein Pacific 01 202によって維持されており、もっぱらスイス国内での運転が主になっている。今でこそ動態保存機として活躍しているものの、現役時代末期は予備機同然となっていたり、引退後一時は駅の暖房ボイラーとして活用されたりと決して順風満帆というわけでもなかった。1975年に保存団体に引き取られてからも、20年以上かけて団員や協力者たちがほぼ無給で修繕作業にあたり動態復活を遂げ今に至っており、現在も年間2000時間にもなる保守が行われるなど多大なる苦労によって維持されている。2013年にはドイツ・マイニンゲンにて大規模修繕が行われ、この際にドイツへ入線可能なよう保安装置の追加設置が行われた。これにより生まれ故郷であるドイツへ運転される機会も出てきた。

 さてさて、そんなことはつゆ知らず、2019年9月のメルクリンターゲに合わせて渡欧する計画を組んでいると、奇遇にもメルクリンターゲ開催に合わせて、202号機牽引の臨時列車がゲッピンゲンでの展示を兼ねて運転されることがわかった。これまで01形は走行を撮影したことがなかったので、これはこの機会に是が非でも撮影しなければならないと遠征計画の中に織り込んだ。往路は全区間電化であったので断念したのだが、メルクリンターゲの行われるゲッピンゲン駅からスイスへの復路1日目がちょうど103形の前走りに設定されていたため、”すこし豪華な練習用被写体”となった。

Br01.202

 ゲッピンゲン駅には転車台がないため、ゲッピンゲンからシュトゥットガルトへ向けて走る復路1発目は逆機運転となっていた。最新鋭ICE4が時折駆け抜ける本線を01形が逆機で黒煙高々と驀進してくる。紺色の客車がどことなくかつての日本国鉄の旧客を彷彿とさせてくれた。この日、列車は一旦シュトゥットガルトで入庫となり、乗客はホテルで一泊したのち、翌朝からまたスイスへ向けて出発という行程であった。ヨーロッパの動態保存運転にはしばしばこのように複数日にわたって地域を少しずつ楽しみながら本拠地に帰るというような日程のものが多いように思う。もちろん走行距離自体が長いこともあるが、観光促進という面で少なからずこのような動態保存機が役立てられている印象だ。

  復路2日目、202号機牽引の列車はシュトゥットガルトからウルム(Ulm)へ至り、ウルムからはウルム-フリードリヒスハーフェン線(Bahnstrecke Ulm-Friedrichshafen)を経由して南下する経路となっていた。早朝アルゴイ方面で218形牽引のEuroCityを撮影後、アウトバーンを飛ばしウルム-フリードリヒスハーフェン線のモッヒェンヴァンゲン(Mochenwangen)近くの撮影地に来たのだが、到着時どうにもアルゴイと比べて天気が悪く少しばかり負け戦を覚悟した。だがどうだろう、時間変更がかかったのか待てど暮らせど列車が来ない。そうこうしているうちにそれまでの悪天候はどこへやら、さんさんと太陽が照り付けだした。

Br01.202 Mochenwangen

 想定していた時間より1時間ほど遅れてからだったろうか。野太いドラフト音とハスキーな汽笛を奏でながら202号機が快走してきた。欧州蒸気機関車はボイラー性能がいいこともあり、なかなかいい煙を出してくれないのだが、今回は程よく”現役当時”のような黒煙をたなびかせてやってきた。複線であるし右側通行なので、日本とはなにもかも違うのだが、どこかしら昔の鉄道雑誌で見たC62ニセコ号のようだった。