ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.132 ブリジット

   友達や知り合いを「あだ名」で呼んだことがある人は多いかと思う。船や飛行機、鉄道車両もまた愛着やはたまた侮蔑をこめて愛称やあだ名がつけられることがしばしばある。国内で有名な例で言えば、キハ81がブルドッグ419系が食パンと呼ばれていたことなどがあげられるだろうか。こういったことは海外でも同じで、ヨーロッパでシーメンス製ユーロスプリンターシリーズのES64U2型機関車がタウルスという愛称で呼ばれている例などがある。

 さてさて、少し前置きが長くなってしまったが、スロベニアに「ブリジット」という愛称で呼ばれている機関車がいる。スロベニア鉄道363形(SŽ363)である。由来となったのは1950~1960年代にかけて名をはせたフランス人女優、ブリジット・バルドー。なぜこの愛称がついたかといえば、この機関車がフランス国鉄CC6500形を原設計とするフランス・アルストム製の輸入機関車だからである。原型となったCC6500はCC40100の系譜の”潰れた鼻”、日本ではゲンコツと呼ばれた前面デザインを持つ機関車であり、363形もこのデザインを受け継いでいる。1975~1977年に39両が当時まだユーゴスラビアであったスロベニアに導入されその後全車がスロベニアの独立にともないスロベニア鉄道へと移籍し、現在も全車が活躍を続けている。

 さて、今回は前回のレポート(Report No.131 断崖絶壁の生命線 - ぽっぽ屋備忘録)の続きである。前日、Prešnica–Koper線で撮影したあと地元スーパーへ行き夜食と朝食を買い込んでČrnotiče駅横でレンタカー車中泊といこうとしていたのだが、駅へ戻って夕食をしていると地元の警察官がやってきて、君たちここで何をしているんだね、どこへ泊まるんだ、ともしもしされてしまった。なんだかそういえば渡航前に調べていた時にスロベニアは指定地以外野宿禁止というのを見た気もする。仕方がないのでその場はなんとか適当にやり過ごし近隣の高速道路のPAで夜を明かすことにしたのだった。

 翌日、少し早めにPAを後にし、早朝順光となる撮影地へ向かったのだがどうも様子がおかしい。撮影地に入る道にトレーラーやキャンピングカーが大量に止まっていて道をふさいでいる。仕方がないので少し離れた別の場所からアプローチしようとしたのだが、ずいぶんと遠いうえ朝露でビショ濡れになってしまった。そしてこともあろうに天気は振るわない曇天。ひとまず訳がわからないので元の道に戻ってキャンピングカーから出てきた中年男性に話を聞くとどうやらこの集団は映画の撮影隊らしくここの先で撮影をするので今日はここには入れないといわれてしまった。残念だが天気も天気なので今回はここでの撮影をあきらめて2つ目の撮影地に向かった。ところがどうやらアクセスの道を間違えたらしくどう見ても道とは名ばかりの川底のようなゴツゴツとした岩ばかりの荒道に出てしまったため車を一旦止めて朝食をとって作戦を練り直すことにした。ひとまず撮影までそう遠くないと踏んで車は現在地に駐車しておき山を下って撮影地に向かったのだがこれが大きな失敗だった。川底のような、とはまだマシな表現で正直ガケが斜めになっているだけのような山道を延々30分ほど歩いてようやく撮影地へとたどり着いたのだった。だがいかんせんこれでは撤収に時間がかかりすぎる。天気もまだ悪いのでとりあえずセッティングだけして車を別の道から近くまで回すことにした。しかし、泣きっ面に蜂とはよく言ったものでこれもまた失敗。30分かけて車に戻って友人の運転でう回路を進んだのだが、一応車は通れるが一歩間違えば岩に乗り上げて亀になってしまうような道でこれまた撮影地に戻るだけで一苦労であった。なんとか撮影地まで戻ってくると天候は回復してきていた。労力が報われただけでもヨシとすべきか。

 今回この峠区間にやってきたのは単にここの風景が撮りたかっただけではなく、ゲンコツを撮るためだった。前日はゲンコツは運用に入っていたものの先頭でくることがなく会えなく撃沈していたため今日こそはと天に祈り列車を待った。

f:id:limited_exp:20181202030754j:plainまずやってきたのはタウルスSŽ541牽引のセメント貨物。セメントの原料である石灰岩の崖に開けられたトンネルからセメント貨物が出てくるというのはなんともシャレがきいているようにも思う。

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その後しばらくして明らかに最近の機関車の音ではない重低音が峠にこだました。トンネルから出てきたのはゲンコツSŽ363牽引の新車輸送貨物だ!この車載貨物車輛、2両1ユニットになってるのがまた面白い。ついにゲンコツ先頭の列車を撮れた。

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天候がかなり回復してきたので峠の奥に見えるイタリア・トリエステの街をいれる構図に組みなおして待っていると、次に峠を下ってきたのはまたまたゲンコツ牽引のホッパ車とタンク車からなる混成貨物。調べたところによればこのホッパ車は鉄鉱石等の鉱石類を運ぶために使用されているようだ。この写真の中央奥が前日撮影していた場所であることを考えていただければこの路線の勾配の険しさがわかるだろうか。

 午後になる前に一度撤収しスーパーへ向かい、チーズと生ハム、パン、ジュースを買い込んで撮影地近くの教会でピクニックをして午後の撮影に備えた。午後は俯瞰ポイントからほど近い逆S字のポイントへ。

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 イバラと草をかき分けて線路脇の石灰岩切通に構えて列車をまつ。朝の曇天が嘘のように晴れ渡り、突き抜ける青空にうかぶ太陽からさんさんと降り注ぐ日光が肌に刺すほどだ。そんな天気の中、またあの朝から何度か聞いた重低音が唸り響いてきた。ペプーポープッという独特の警笛を1回、ゲンコツ牽引の混成貨物が下ってきた。貨車の内側が黒いことからして編成の先頭は石炭ホッパ車だろうか。線路にかぶりついて撮るとオデコの台形ヘッドライトがよくわかってなんともカッコイイ。

 快晴が続いたため、この後も日没ギリギリまで撮影を続行することになった。そして上々の撮影成果の中、次の撮影地へとコマをすすめたのだった。