ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.126 悲願の末路

 2018年3月31日、JR西日本三江線はその88年の歴史に幕を閉じた。島根県江津から広島県の三次までを結ぶ全長108.1kmのローカル線であり、本州では初の100km超えの路線の全線廃止となった。江の川沿いに山陰方面と山陽方面を結ぶ陰陽連絡船として計画され、部分開通や工事中断などを経て1975年に全通した路線だった。だが、江の川沿いの曲がりくねった谷間を縫って走る路線であったため決して線形がいいとは言えず、更には川沿いを走ったことにより路線延長が長くなったこともあり、陰陽連絡線でありながら定期優等列車が設定されることはなかった。

 またモータリゼーションの加速、道路状況の向上によって利便性に欠ける三江線の地位が向上することはなく、全通前の1968年の時点で既に廃止検討されていたほどであった。全通後も状況は変わることなく、国鉄分割民営化前にも廃止が検討されたが、当時は全線を通しての代替道路がないことから廃止を免れた。

 分割民営化後は幾度かの自然災害による部分運休や復旧を繰り返していたが、沿線人口が減少していることなどもあり、収益改善が見込めないこと、災害復旧費用が高額であることなどからついに廃止せざるを得なくなったのである。残念ではあるが、通勤通学、通院などの利用者が多くいるわけでもなく、ほとんどの場合、カラの列車が運行されていたことを考えると仕方のない話のように思える。

 昨年夏の山口線での35系試運転の帰り、せっかくなので少し足を延ばして終わり迫る三江線を記録することにした。山口で撮影した後やってきたのは鹿賀~因原の俯瞰だった。ここは三江線の背景にこの地方特産の石州瓦で覆われた赤屋根の日本家屋が望めるポイントだ。

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夏の日差し厳しい中、惜別乗車で増えた乗客に対応するため2両に増結された普通列車が背後からやってきた。ちょうどその時、列車反対方向からは邑南町営のコミュニティバスがやってきた。これから去るものとこれから地域を支えていく存在が偶然にも1枚のフレームの中に納まった瞬間だった。