ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

客車列車

Report No.69 煤煙の記憶

福知山線の宝塚~福知山間、山陰本線の福知山~城崎温泉間が電化され今年で30年になる。両区間とも現在では電車特急が闊歩する路線となっているが、電化前までは気動車優等列車や客車列車の楽園であった。キハ58やキハ181といった気動車が往来する中、客車列…

Report No.67 面影

2000年以降、青い機関車と青い客車、「ブルートレイン」と呼ばれ親しまれた寝台列車たちの時代は高速道路網の発達や新幹線網の延伸、航空券の低価格化などによって続々と終焉を迎えた。京都~長崎を結んだ寝台特急「あかつき」もその一つであった。「あかつ…

Report No.58 村雨の日に

大地を揺らし、黒煙と蒸気を吐き走る蒸気機関車の姿はいつの時代も人々を魅了してやまない。そして近年では、その魅力を利用して地域活性化などにつなげようという動きもみられる。ひとたび蒸気機関車が走るとなれば鉄道ファンのみならず多くの観光客を呼び…

Report No.50 Give me chocolate!

Give me chocolate! 言わずと知れた戦後日本を象徴するフレーズである。当時の飢えた子どもたちにとってそれまで日本でほとんど流通していなかったチョコレートの甘くほろ苦い甘美な味は新鮮で格別であったに違いない。 同じ頃、国鉄の機関車や客車は「ぶど…

Report No.47 驀進

動力近代化計画、通称無煙化により蒸気機関車は全国の国鉄路線定期列車から姿を消した。無煙化末期には伯備線や函館本線などに少なくなった蒸気を一目見ようと多くのファンが訪れるなどSLブームと呼ばれるものが発生した。更に、これまで鉄路を支えてきた…

Report No.43 雪中行軍

2014年を最後に事実上廃止された寝台特急「あけぼの」は、奥羽本線経由で上野~青森を結んでいたわけだが、新潟や秋田、山形といった豪雪地 帯、日本海側を通過するため冬季はしばしば雪や強風で大遅延や運休することがあり、「雪に負ける」ことから不名誉に…

Report No.40 青の旅

”あぁ、だから今夜だけは君を抱いていたい あぁ、明日の今頃は、僕は汽車の中・・・” これは、1973年発表の財津和夫(チューリップ)の歌の一節である。当時日本は高度経済成長の末期、地方に恋人を残して夜行列車で上京する若者の気持ちを歌った曲として多…

Report No.39 黒鋼の記憶

1960年代まで、日本のほとんどの国鉄路線は非電化であり、蒸気機関車が牽引する貨客列車が闊歩していた。1960年から始まった15年に及ぶ”動力近代化計画”、通称”無煙化”によって蒸気機関車による列車運行は1975年に終焉を迎えた。無煙化計画末期の1971年9月15…

Report No.38 幻影

いまや日本から定期寝台列車は全廃されてしまい、”高級ツアー”として”ななつ星”や”カシオペア”などが臨時運行される程度になってしまった。かつては東京や大阪のような大都市から日本各地へ寝台列車が発着していた。中でも日本の大動脈、東海道・山陽本線系…

Report No.35 蒼い夢、永遠に

前回天理臨の話をしたので今回も引き続き天理臨について触れていきたい。 青森~天理で運転されていた24系使用の天理臨が、京都駅でEF81とDD51を付け替えるのは前回お話しした通りである。北陸方面への列車は通常0番線から発車するが、天理臨は往復ともに7番…

Report No.34 青と赤

天理教をご存知だろうか。天理教とは江戸時代に生まれた新興宗教であり、宗教人口はおよそ100万人、奈良県天理市にその総本山を構える。この天理教、年に数回の祭事があり、この祭事に合わせて全国の天理教徒の方々が多く天理市へはせ参じるのであるが、これ…

Report No.33 小さな巨人

北海道への玄関口である海峡線では、新幹線開業までED79が客車列車の牽引を担当していた。ED79はED75改造し、海峡線専用仕様にした形式である。改造車種にED75が選ばれた理由は、当時運用の再編によって余剰が生じており、比較的車齢の浅い車両がまとまって…

Report No.32 夜花

かつては海峡線といえば、快速「海峡」をはじめとして、「はつかり」、「日本海、「北斗星」、「トワイライトエクスプレス」、「カシオペア」、「白鳥」、「はつかり」などなど数多くの優等列車が日夜闊歩していた。しかし、利用客減少や老朽化、北海道新幹…

Report No.28 蝦夷富士は晴れているか

蝦夷富士とは羊蹄山の別名である。標高1898mと富士山には到底及ばない高さだが、富士山に似たその円錐状の形が由来である。またアイヌ語ではマッカリヌプリやマチネシリと呼ばれる。時折函館本線”山線”で運転される臨時特急ヌプリ号の名もここからきている。…

Report No.26 日本海縦貫線号

1964年の東海道新幹線開業を皮切りに、主要幹線網の新幹線化が始まった。今や、新幹線のみで東京から函館、新潟、金沢、鹿児島中央へ行ける時代となった。しかしその裏では、速達性と利便性を引き換えに歴史の中へ消えていったものたちもあった。 2015年3月1…

Report No.23 消えた流星

2016年3月26日ダイヤ改正は、北海道を新時代へといざなうものであった。1961年に建設開始し少なくない犠牲の上で開通を迎えた青函トンネルが本来の姿である悲願の「新幹線トンネル」としての営業運転を始めた。 しかし、それは鉄道史の転換点でもあった。利…

Report No.18 山陰トワイライトエクスプレス <補>

山陰本線へ特別なトワイライトエクスプレスを撮影に行ったことは以前も投稿したが、すこし番外編ではなく捕捉としてのことを書きたいと思う。 寝台列車といえば、牽引機関車に流れ星の運用札が刺される。団体臨時といえど、特別なトワイライトエクスプレスで…

Report No.12 落部俯瞰

夏が終わり、いよいよ秋に入ろうかという2014年の9月のころ、夏季休暇を利用して友人と共に北海道へ渡った。このときの遠征では北海道新幹線の開業を控え、廃止が予想された北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスを狙った。 友人が朝撮るならぜひと…

Report No.11 紀勢本線トワイライトエクスプレス<続>

以前も紀勢トワイライトについては触れたが、今回は前回分で触れることができなかった9月、10月分ついていくつかえりすぐって書き記したい。 和歌山DCキャンペーンのトワイライトエクスプレス初回運転の日、快晴と聞きつけ当時免許を取ったばかりの友人が車…

Report No.10 網干訓練

鉄道会社の場合、「訓練」と一言に行っても、さまざまである。例あげるならば避難訓練や復旧訓練から乗務員訓練、路線習熟訓練などがある。 2月の中旬、複数回にわたってDD51と12系を使用した乗務員訓練が運転された。宮原から網干までを日中に1往復する内容…

Report No.8 山陰トワイライトエクスプレス < II >

夏に一度行った山陰トワイライトであったが、このときどうしてもやり残したことがあり、8月の時とは別のメンバーと共に9月再び山陰の地へ赴いた。 このときは往路は狙わず、復路のみに絞ることになった。これは前回、台風で復路が散々だったこともあるが、や…

Report No.7 山陰トワイライトエクスプレス < I >

トワイライトエクスプレスといえば、JR西日本が誇る豪華寝台特急である。長きにわたり、大阪~札幌を結んできたが、2015年春ダイヤ改正で設定取り消しとなった。その後団体臨時の「特別なトワイライトエクスプレス」として2016年春までの期間限定で山陽ルー…

Report No.6 紀勢大サロ

国鉄末期、サロンエクスプレス東京を皮切りに団体および臨時用に余剰となっていた車両を改造したいわゆる「ジョイフルトレイン」が続々と誕生した。 サロンカーなにわもそのジョイフルトレインの一つであり、国鉄大阪鉄道管理局宮原区に所属していたことから…

Report No.5 紀勢本線トワイライトエクスプレス

2014年夏、和歌山ディスティネーションキャンペーンの一環でトワイライトエクスプレスが紀勢本線で運転されることになった。和歌山DC伴う運転は9、10、11月に行われたのだが、12月に入って、またも団体臨時として運転されるという情報を得て撮影に行くことに…

Report No.3 2015年春ダイヤ改正

毎年ダイヤ改正のたびに長らく運行してきた列車や国鉄型が引退していくのが最近の常であるが、2015年もまた例にもれずであった。 寝台特急といえば少し前までは、日本海、なは、あかつき、彗星、富士、はやぶさ・・・などなど名だたる列車が多く走っていた。…

Report No.2 北のDD51を追って

2016年、北海道新幹線開業に合わせ、保守時間帯確保などの理由からついに寝台特急カシオペアおよび急行はまなすが消えることになり、最後に青いDD51を撮りたいと思い突発で遠征することにした。 と、発案したはいいものの、はまなすはダイヤ改正までいつでも…