ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.135 歴史街道

 第一次世界大戦終結オーストリア=ハンガリー二重帝国が解体されるまでスロベニアオーストリア領であった。オーストリア=ハンガリー帝国がスロベニアを支配する中、1869年、スエズ運河が開通し地中海沿岸の港の地位は大きく向上した。当時帝国は現在のイタリア・トリエステ港を領地としており、既にウィーンとトリエステを結ぶ鉄道が開通していたが、スエズ運河開通によって更なる物流量の増加が予測された。このため、トリエステオーストリアを結ぶ第2の鉄道路線を建設することになった。そして1906年に開通したのが、スロベニアのイェセニツェ(Jesenice)からジュリア・アルプスを抜けイゾンツォ川(Isonzo)を抜けてゴリツァ(Gorica)を経由しトリエステへと至るボーヒン鉄道(Bohinj Railway)である。山々の緑に囲まれる車窓、ジュリア・アルプスを貫く全長6.3kmのトンネルやイゾンツォ川を超える大アーチ橋のソルカン橋梁など風光明媚な路線である。今でこそ数往復の貨物列車を除けば1両や2両の気動車が3時間に1本程度行きかうローカル線であるが第一次世界大戦では激戦地となったイゾンツォ川周辺への兵站輸送などで活躍した歴史の生き証人ともいえる路線である。

 このボーヒン鉄道では、夏季にスロベニア鉄道博物館が所有する蒸気機関車と旧型客車を用いて観光客向けの動態保存列車が走っている。昨年夏の欧州遠征では偶然にもちょうどよい具合でこの運転があることがわかっていたのでコペル(Koper)周辺での撮影の翌日、これを撮るためモスト・ナ・ソチ(Most na Soči)に宿を取り一日蒸気を追いかけることとした。モスト・ナ・ソチはイゾンツォ川とイドリカ川、バチャ川の3つが合流する急峻な谷間の街で、第一次大戦中は激戦地となった場所にほど近い場所である。

 この動態保存運転で使用される機関車は、第二次大戦中、ナチスドイツ占領下で導入された戦時機関車として有名なドイツ国鉄52形の同型機JŽ33(現SŽ33)、ユーゴスラビア王国時代に導入されたJDŽ06、オーストリア=ハンガリー帝国時代に導入されたSŽ25の三機のいずれかで、客車は2軸客車を主とする編成というなかなか豪華なものである。

 牽引機がなにかは公式で発表がないので完全に運任せなのだが、せっかくなら日本でお目にかかることができないE級機であるJŽ33牽引であることを祈りつつ運転日当日は少し早めに宿を後にし、まずは宿すぐのモスト・ナ・ソチ橋梁を俯瞰するポイントへ向かった。モスト・ナ・ソチ橋梁はイドリカ川とバチャ川の合流点の上を渡るレンガアーチ橋とトラス橋が組み合わさった橋梁である。

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 朝露に濡れた斜面を登って待つこと2時間。定刻より少し遅れてSŽ33が逆機で古典客車たちを引き連れて橋梁の上に現れた。橋を渡ってすぐのモスト・ナ・ソチ駅で停車し撮影タイムが取られるため減速しつつ通過。迫りくる急峻な山々をぬってレンガアーチを渡ってくる蒸気機関車牽引の客車列車、なんと豪華な光景だろうか。モスト・ナ・ソチ駅での撮影タイムに少し便乗した後は車を走らせて次なる撮影地、ソルカン(Solkan)橋梁へ。

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 ソルカン橋梁は、第一次世界大戦時、オーストリア帝国軍の撤退時に川を渡るアーチ部が爆破され、のちに復旧された経緯を持つ橋梁である。これを峠道のパーキングエリアから俯瞰するポイントで列車を迎え撃った。第一次世界大戦の生き証人たる橋梁の上を第二次大戦期を代表する機関車であるドイツ国鉄52形の姉妹機が牽引する列車が走るというなんとも歴史の重みを感じる光景に夢中でシャッターを切った。

 この後は3日間のスロベニアでの撮影でお世話になったレンタカーを返却し、普通列車にのって復路の撮影へと向かうことにしていた。返却地のレンタカー店から駅までが少々距離があったのだが、レンタカー店の店員に交渉すると快く駅まで送迎してくれた。送迎代がわりに少しチップを弾んで店員と別れたあとは、ノヴァ・ゴリツァ(Nova Gorica)駅で復路まで停車中の蒸気列車をスナップ。

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 宮殿のような駅舎を前に古典客車たちが止まっているのを見ているとあたかも戦間期にタイムスリップしてしまったかのような感覚になった。かつて第二次大戦中、このノヴァ・ゴリツァ駅はクロアチアにあったナチス強制収容所へのユダヤ人や囚人の輸送の要衝でもあった駅である。ここにドイツ戦時型機関車52形姉妹機率いる列車が止まっているという姿は些か考えさせられるものがあった。

 さて、この復路に先行する列車で向かったのはアーウチェ(Avče)駅近くのイゾンツォ川のダム湖沿いの撮影地。ここも他同様のレンガアーチ橋がかかる場所なのだが、この橋梁はダム湖の縁をかすめて通る所謂「渡らずの橋」で、ダム湖に反射する姿が美しい撮影地である。午前の撮影とはうって変わって快晴の中、幾人かのギャラリーがいるだろうと思いつつ撮影地へ向かったのだが、予想に反してギャラリーはゼロ。同行の友人たちとそれぞれ思い思いのアングルを確保して列車を待った。

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 太陽がだいぶ西に傾きだしたころ、山間にドラフト音と軽やかなジョイント音が聞こえてきた。そしてつかの間、大陸の大型蒸気らしい薄目の煙を吐きながら蒸気列車が絶景の舞台の上に現れた。大型E級蒸気と色とりどりの客車、苔むすレンガアーチ橋、絵画のようなその情景はまさにシャッターを切っていることすら忘れる絶景だった。