ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.107 山線

 函館本線は函館と旭川を結ぶ北海道の大動脈だが、そのうち長万部~小樽は所謂「山線」と呼ばれる急勾配、急曲線の連続する単線ローカル線である。そう、今は。かつてはこの山線こそが文字通り”メインライン”だった。だが、千歳線室蘭本線の線形改良・複線化などにより、走行距離は長くなるものの勾配の緩やかな室蘭経由の”海線”ルートの方が山線経由の列車より札幌への速達性が勝るようになった。更には、小樽の地位低下も相まって優等列車が山線を経由する意味が薄れていったのである。そして国鉄末期の1986年11月1日をもって山線経由の定期優等列車は全廃された。急がば回れとはよく言ったものである。ただ、あくまでこれは定期優等列車が廃止されただけであって、臨時や有珠山噴火の際には迂回のため時たま優等列車が設定される。有名どころで言えば「ニセコ」だろう。「ニセコ」は札幌~函館を山線経由で結び、1986年までは客車列車として運転されていた。そして定期廃止後は夏季臨時急行としてキハ56を使用して1993年まで運転されていた。キハ56の全廃などもあり、「ニセコ」の運転はしばらく途絶えていたのだが、2015年から時折キハ183を使用した臨時特急として設定が復活するようになった。だが客車時代末期に掲出されていた「ニセコアンヌプリ」をモチーフにしたヘッドマークが使用車両の方向幕に収録されいないこともあり、寂しい「臨時」や「特急」といった文字だけのヘッドマーク表示が使われていた。

 そんな折、2017年7月18日にJR北海道のプレスで衝撃的な発表がなされた。なんと、8月31日から運転される臨時特急「ニセコ」ではキハ183系初期車スラントノーズを使用し、ヘッドマークに往年の「ニセコアンヌプリ」を用いたものを使用するというのだ。スラントノーズの初期車は老朽化に伴う廃車で数を減らしており、特急「オホーツク」の減便などもあり活躍の場を急速に減らしている。それがニセコヘッドマークを掲出して山線を走るとあらば、久々に北海道に行くほか選択肢はなかった。

  プレスが発表されたその日のうちに8月30日の夕方の新千歳行の飛行機を予約し、友人たちに声をかけた。これまで何度か北海道には言っているが、山線での撮影はSLニセコの撮影以来であったので、案内人として北海道の友人にも参戦してもらうことにした。30日に道内入りをし、先発の飛行機で到着していた友人と合流。新千歳で豪華に豚丼を食べて腹ごしらえをした後、道内の友人と合流し然別~銀山の羊蹄国道オーバークロスへ下見に行った。翌日の天気予報は曇りのち晴れであったのである程度人出が予想されたのだが、行ってみると先客は少しだけだった。ひとまずこれなら安心と仮眠を取ってから、もう一つ撮れるかもしれない場所があると道産子友人に案内されて行ってみたのだがSLニセコ運転休止から久しく撮るには少し厳しい状況になっていた。あきらめて予定通りオーバークロスで撮影することにした。ちぎれ雲浮かぶ空に一抹の不安を覚えつつ通過を待った。

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 9時半前、とかち色のキハ183系4両がニセコヘッドマークを掲げてやってきた。4両といえどスラントノーズ先頭となると風格ばっちりだ。ビシっと鋭い光線で鼻筋が目立つのもまたかっこいい。特急というだけあって少し足早なダイヤ設定だったのだが、どうやら追っかけられないわけではなさそうだった。急いで車に乗り込んで追っかけを開始。まずは小沢駅で発車を撮影し、その後はニセコを越えて昆布駅手前のストレートへ行ってみた。するとストレートの左側にはちょうどニセコアンヌプリが見えるではないか。

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 到着してほどなくして特急「ニセコ」がやってきた。山には少し雲影が落ちていたがニセコアンヌプリニセコを絡めて撮ることができた。この後ももう少し追っかけを続行し、撮影後は友人たちとラーメンやアイスクリームを食べて少しの旅行を楽しんだ。そしてこの後は翌日の撮影に備えるため洞爺湖の温泉宿へ向けて進路をむけた。長万部で新鮮なお寿司を食べつつ、キハ40を撮りつつ向かい、夜は洞爺湖で花火を見物し温泉に入り、夏の北海道を体いっぱい満喫した。