ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.42 地下鉄に乗って

 103系というと、一時は3500両にも迫る両数を抱える大所帯でありまさしく国鉄通勤型の顔であった。そして、両数もさることながら、形態もまた多数あった。そのうちの一つがいわゆる”地下鉄対応車”である。地下鉄対応車は、1000番台、1200番台、1500番台が該当し、それぞれ投入された線区が異なる。このうち1000番台は常磐緩行線営団地下鉄千代田線乗り入れ用として製造されたものである。地下鉄対応とするため、前面貫通扉を設け、乗り入れ協定対応のためヘッドライトがシールドビーム2灯になっていることなどがほかの103系との大きな違いであった。

 これら1000番台は最盛期10両編成16本160両を抱えていたのだが、消費電力が大きいこと、抵抗制御のため排熱からトンネル内温度の上昇を招いたことなどから1984年より後継の203系へと置き換えられていった。しかしこの当時国鉄といえば、末期の赤字財務事情で新車の導入も十分にできないような状況であったため、置き換えられた103系の大部分、104両は常磐快速・成田線へと転属した。残る56両はというと、奈良線、桜井線、和歌山線紀勢本線可部線へと活躍の場を移すことになった。この56両は、制御機器を105系と同等のものへと載せ換え、103系から105系へ名前を変えた。そしてJR化後は冷房化工事や延命工事、トイレ設置工事など種々の改造を受け活躍してきた。

 しかし、1970年に製造されてからすでに40年以上が経過しており老朽化も著しくなってきた。このため、広島地区で運用されている103系改め105系は227系導入によって引退することになった。3月にひろしまシティーライナーが115系で運転された際、ついでにこの散りぎわとなった105系を記録すべく可部線安芸長束~三滝へ向かった。

 5日後にダイヤ改正での引退を控え、撮影地には友人や私を含め10人ほどが集まっており、長きにわたって親しまれてきたことを感じさせた。

f:id:limited_exp:20160702024451j:plain 踏切が鳴り、春の柔らかい朝日に包まれて、どこか心地よいジョイント音と直流モーターの音を奏でながら黄色い105系はやってきた。さまざまな改造や塗装が変更されても変わらなかった地下鉄の顔も誇らしげに過ぎ去っていった。

 残る地下鉄顔は和歌山地区。あとどれくらい彼らの活躍を見れるだろうか。