ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.119 風雲児

 貨物列車は一度に大量の物資を輸送できるが、その反面、速度は遅くなりがちだ。戦後、日本全国で高速道路などの高規格道路が整備されはじめ、長距離物流の主要手段がトラック輸送へと移行し始めた。この頃の国鉄の貨物輸送の主流は所謂車扱貨物と呼ばれるもので、貨車1両、1両に荷物を積む方式だった。このため、貨物駅でほかの輸送手段から貨車へ荷物を積み替えるために手間がかかり、行き先ごとに操車場で編成を組み替える必要があるため時間がかかっており速達性に欠け、効率的とは言い難い状況であった。また、この当時主流であった貨車の多くが2軸貨車であり、最高速度が75km/h程度と低速であったことも速達性を低下させている要因であった。そこで国鉄では、速達化を図るためワキ10000型に代表されるような2軸ボギー台車を履いた100km/hで走行可能な貨車や、コンテナ貨車の導入を開始した。この流れの中で、高速走行可能でかつ高出力の新型試作機関車として鳴り物入りで開発されたのが後にEF66の原型となるEF90であった。EF66はそれまでのEF65に比べて約1.5倍の出力、3900kWをほこり、EF65重連で牽引していた列車を単機で牽引できるようになった。

 EF66の他より少し高い運転台と481系、151系などの”ボンネット”型特急電車を意識したライトケース、きりっと通った鼻筋、ステンレスの飾り帯を纏った先頭形状はそれまでの国鉄の機関車とは異なるスタイリッシュなもので、国鉄貨物輸送の新時代を告げる風雲児として申し分のないものだった。

 だがそれも今はかつての話。EF90の誕生から数えて今年で52年、JR化後に追加増備された100番台を除く0番台の多くは既に引退しており、0番台はJR貨物吹田機関区に所属する数両が細々と活躍するのみとなっている。その細々と活躍する数両の中の1両がEF66-27だ。JR化後に更新工事やクーラー取り付けを受けるなどしたため完全な原型ではないものの、特徴的な飾り帯や特急シンボルマークと一体になったナンバープレートはそのままとなっており、塗装も屋根こそ滑り止めのグレー塗装になっているものの、他は青にクリーム帯の塗装で、準・国鉄ともいえる仕様になっている。

 2017年まで、東海道線貨物の5073レは吹田機関区所属のEF66の運用であり、関西に夕方少し遅く到着するダイヤであったため夏場の日が長い時期にもってこいの運用であった。ネットなどでよく作例を見かけたのは安土~能登川などの編成をすっきりと撮れるところだったのだが、ある時、京都駅の東の東山トンネルから続くコンクリートの洞門を出てきたところのほかの被写体の作例を見かけて衝撃を受けた。これをEF66で撮ったらどんなにかっこいいだろう、そう思っていると、ちょうどEF66-27が5073レに入っていた。もう十分日が長くなっている時期でもあったので、これは行ってみるしかないと思い立って撮影に向かった。

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 17時15分を回ったころ、長く続く洞門の奥に2灯のライトが見えた。ここはサンダーバードや新快速といった車両も通るがこの2灯のライトは違う。洞門の柱の間から差し込む光をうけるたび、キラリ、キラリとステンレスの飾り帯が反射する。そして力強いブロワー音と共に洞門の額縁からEF66-27が飛び出した。 

Report No.118 ゴッタルド峠

 アルプスの山々に囲まれたスイスには数多くの峠が存在するが、その中でも有名なのが南部のイタリア方面へ抜ける途中にあるゴッタルド峠だ。かつてはこの峠を越えようとして遭難するものも多く、13世紀ごろまでは道も険しく主要路としては機能していなかった。特に両岸が断崖絶壁となっているロイス川を渡るのがかなりの困難で、ロイス川を渡る石橋が「悪魔の橋」と呼ばれており、悪魔と契約して作ったという俗話が残っているほどだ。

 このように険しいゴッタルド峠なのだが、スイス・チューリッヒからイタリア・ミラノ方面へ抜けるためにはここを抜けるのが最短ルートになっている。1888年には、多大なる殉職者を出したゴッタルド鉄道トンネルが開通し、スイスとイタリアをスムーズに鉄道で結ぶことができるようになり物流を大きく変えた。その後、1980年にはゴッタルド道路トンネルが開通し着実に交通の要衝としてゴッタルド峠一帯は重要度を増していった。

 そして、更なる輸送の高速化、効率化を目指すため、既存のゴッタルド鉄道線をアルプスの山々を貫く長大トンネル線で置き換えることになった。険しい勾配を克服するため、ループ線が連続するこの区間は速度向上が難しく、近年の物流量の増加に対して限界を迎えていたこと、環境保護のため鉄道貨物の利用増加が求められていたことから、高速で輸送可能な平坦な路線が求められていたのだ。そこで、全長57キロからなるゴッタルドベーストンネルをアルプスの峰々を貫いて建設することでこれを解決しようとしたのだ。1996年から始まった建設であったが、難工事の末20年近くたった2015年に完成をみた。そして2016年には営業運転が開始され、ゴッタルド峠を通過する列車の大部分がゴッタルドベーストンネルを通過するようになった。旧線は廃線とならず、現在も使用されているが、トンネル開通後はローカル電車と観光列車、ごく少数の貨物列車のみとなっている。昨年初秋に渡欧した際、ゴッタルド峠にはVSOEを撮影しに訪問した(Report No.104 走る舞台 - ぽっぽ屋備忘録)。このとき、VSOEが通過する前に数少ない貨物列車を撮影することができた。f:id:limited_exp:20180206231218j:plain

 まだ山影から太陽が昇る1時間ほど前、重々しい電機の唸りが聞こえたかと思うと、Re4/4(現Re420)とRe6/6(現Re620)の異種重連、通称Re10/10に牽引されてホッパ車たちが峠を登ってきた。先頭のRe4/4がシール式前面車番に変更されいることや次位のRe6/6がXrail塗装なのが些か気になるところではあるが日本ではなかなかお目にかかることのできない電機罐の異種重連運用に胸躍らせシャッターを切った。

Report No.117 懐かしのシュプール

 かつてはブルートレインなどの優等列車から普通列車まで、客車列車は幅広く運転されていたが、今や一部のイベント用などの波動用輸送や観光列車を除いてめっきりその数を減らしてしまった。特に2000年代以降、低価格な高速バスの台頭や新幹線サービスの向上、航空券の低下価格が進み、機関車牽引ゆえに速度向上が図りにくい客車を使用していた寝台列車や夜行列車は老朽化も相まってそれらとの競争に敗れる形で次々と後を追うように廃止・設定取消になっていった。そういった列車のうちの一つが2009年まで運転されていた臨時快速ムーンライト九州である。

 ムーンライト九州は当時、スキー客向け臨時列車「シュプール」用として改造されていた14系を使用していた。シュプール号用として改造されたものの、2000年代に入って以降はシュプール号そのものの運行が減少したためムーンライト九州をはじめ、その他団体臨時や乗務員訓練に使用されることのほうが多くなっていた。だが、元々老朽化が進んでいたこともあり、そういった運用は長続きせず、2008~2009年の年末年始を最後にムーンライト九州の設定がされなくなるといよいよ車両所で暇を持てあますだけとなっていた。特に、2005年に福知山線脱線事故の影響で、その当時JR西日本では鉄道イベントや特別企画の多くが自粛されていたことも運用減少に影響していた印象がある。

 そんな中、2009年春、福知山線北部の利用促進を図るため団体臨時列車「恐竜列車ちーたん号」というこれまたなんともコミカルな名前の列車がシュプール用14系で運転される運びとなった。列車名の由来は丹波地方で発掘されたティタノサウルス類の恐竜の化石であったと記憶している。運転区間は下滝~福知山~丹波口間で、シュプール用14系6両を使用し福知山線内ではDE10により牽引され最後尾にDD51を連結する形で運転され、福知山からはDD51によって山陰本線を上るという運行形態だった。シュプール用14系の去就が噂される中での運転設定であったので、なんとしても行かねばならぬと思い、当時買ったばかりのカメラを片手に始発列車に飛び乗り山陰本線 胡麻~鍼灸大学前のストレートへ向かったのだった。

 もはや9年近く前のことであり、記憶もあやふやではあるのだが、春のまだ寒いうちだというのに撮影地は朝早くから多くのギャラリーでにぎわっていた覚えがある。当時まだ置換発表のされていなかった485系改造の183系800番台などを撮影しつつ10時頃の通過を待った。

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 晴天の中、DD51-1183に牽かれてシュプール14系6両がやってきた。中間車はそうでもなかったのだが、頻繁に使用される先頭車は退色や一部の錆や劣化が進んでおり、老朽化を如実に表していた。

 この運転のあとも幾度か恐竜列車ちーたん号の設定はあったのだが、これ以後シュプール14系が使用されることはなく、「あかつき」廃止で用途廃止となった14系寝台車などと共に同年7月に下関へ廃車回送されたのだった。

Report No.116 異端児

 かつては雪国の鉄路の象徴とも言えた除雪車だが、近年では国鉄時代に製造されたものの老朽化廃車や除雪モーターカーの置換導入、降雪量の減少による用途廃止によって徐々にその数を減らしている。だが中には除雪車としての使用を終えたのち、その他の用途に転用されたものが存在する。現在JR貨物に所属するDE10形3000および3500番台がその一例で、これらはもともとJR東日本に所属していたラッセル式除雪車、DE15であり、モーターカーへの置き換えに伴って余剰となったものを貨物機として再整備したものである。DE15は除雪用ラッセルヘッドの連結器が装備されていることなど一部の細かい差異を除けば基本的にDE10と何ら基本設計は変わらないので、そのままの状態でも貨物機として使用できる。だが、JR貨物への転用にあたっては使用しないラッセルヘッド連結器、ブレーキ配管などが撤去されDE10へと編入された。これによってぱっと見は他のDE10と変わらないように見えるようになったのだが、よくよく見ればDE15由来であることがわかる。例えば、ボンネット前部のオデコ部分にあるフックや少し外側に寄った尾灯などがその痕跡である。ボンネットのオデコ部分のフックはDE10では本来ボンネット前部のナンバープレートの真上、車体中央部のところに設置されているのだが、DE15ではここにラッセルヘッド用連結器を装備していたことから邪魔になるためフックが正面向かって左側にうつされている。このためその特徴を受け継ぐDE10-3000/3500ではフックが中心からオフセットされた場所にあるのだ。尾灯もDE15ではラッセルヘッド用連結器を避けるように車体外側に尾灯が寄せられていたため、他のDE10と違い少し”離れ目”になっている。他にも前面部のルーバーの有無や点検蓋のサイズなどDE15譲りの部分が散見される。

 現在、DE10-3000/3500は主に仙台と東新潟機関区に所属しており、本線での貨物列車牽引運用をこなす傍ら、入れ替え機としても使用されている。だが本線運用は決して多いわけではなくなかなか狙いにくいというのが実情だ。ひょんなことから信越地方で出向くことがあり、その帰り道、ついでにと立ち寄ったのがその少ない本線運用の一つが見れるJR貨物新湊線だった。ちょうど田植えが始まったころの5月であったのであわよくば沿線の田んぼで水鏡ができないかと思ったのだが現実はそう甘くなかった。たしかに田に水は張られていたのだが、時すでに遅し、苗が植え付けられた後だった。まぁこういう日もあるさ、と友人たちと話しつつ農道に陣を張り主役の登場を待った。f:id:limited_exp:20180122234202j:plain

五月晴れの中、ゆっくりとやってきたのはDE10-3513牽引の高岡貨物行の貨物列車。水鏡ができなかったのは残念だったがやってきたのはDE15改造の異端児。少し儲けものだ。

 原型DE10も捨てがたいところだがこういった変形機もまた別の意味で写欲をくすぐる。機会があればぜひまた再訪したいところだ。

Report No.115 四国色

 JR化後、各地でそれぞれの地域にちなんだ色を使用した所謂”地域塗装”や”地域色”と呼ばれる塗装が車両に施されるようになった。単調な色と塗分けが多かった国鉄色に対して、地域色ではさまざまな色で斬新な塗分けを採用することでブランド化を図るだけでなく卒・国鉄を印象付ける目的もあったのだろう。

 JR四国では、国鉄から継承した車両の多くを四国色と呼ばれるアイボリー地にコーポレートカラーの水色帯を巻いた塗装に変更し、車両のイメージアップを図った。車両によって塗分け方に差異はあるものの、車体上半分と下半分で塗分けるなどの簡単な塗分けが多かった国鉄色に対して、四国色では細帯を取り入れたり、前面は斜めで塗分けたりと意匠を凝らした塗装になった。一時期は四国島内の車両の大多数がこの塗装を纏っていたが、その後の車両置換や塗装変更でずいぶんと数を減らしてきている。さらに言えば、JR化後に製造された新系列普通車気動車にはこの塗分けが継承されなかったことから四国色を纏っているものは国鉄型のみである。

 お盆も過ぎたころの昨年8月、夏の鉄道風景を撮りに行こうと徳島へ赴いた際(Report No.113 夏休み - ぽっぽ屋備忘録)、ついでにとこの四国色を纏ったキハ40系列を撮影することにした。徳島に所属するキハ40系列について言えば、現在既に主力運用は新型車両にとって代わられており、もっぱら路線末端運用やラッシュ時運用、臨時運用のほうが主となっている。更には一部車両が国鉄時代の朱色一色塗装「首都圏色」に変更されていることもあり四国色で統一された編成を撮ることは以前ほど簡単ではなくなってきているのだ。

 さてさて、そんな状況の中、夏場おいしい運用として被写体に選んだのは牟岐線の朝の3連運用530D。この列車は徳島側からキハ40、キハ47、キハ47の順で組まれた編成で運転される列車だ。そもそも時間帯的に撮影できる箇所は数か所しかないのだが、お盆も過ぎると徐々に秋の訪れとともに日の出時刻は遅くなり、太陽方位も南に下がってくるため、撮れる場所はさらに制限されてくる。そこで選んだのが牟岐線は阿波中島-阿南の築堤区間だった。

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 まだまだ残暑厳しい中、田んぼ脇に友人たちと陣を張り四国色3連がやってくることを祈りながら待った。7時半ごろ、夏空の元、四国色3連キハ40がやってきた。背景奥には育ちだした積乱雲らしき雲、手前には重く頭を垂れだした稲穂。夏の匂いにどこか懐かしいディーゼルの香りを混ぜて四国色が駆け抜けていった。

Report No.114 新天地

 JR東日本では1993年以降導入した新形式には形式番号の頭にEを付与するようになった。これは東を意味する英語”East”の頭文字のEをとったものだ。国鉄の分割後、各社で形式番号を付与していく中で、番号だけの形式付与では形式が被る可能性が出てきたからだ。

 1997年、JR東日本の交直流両用特急電車として初めてEを頭に付けた車両が登場した。常磐線で「ひたち」として運用されていた485系を置き換えるために導入されたE653系である。高速感あふれる流線形高運転台の先頭車、編成ごとにことなる5色の帯色を採用するなど常磐線特急のイメージを一新させるものだった。だがそれももう20年前の話。2013年に常磐線運用から撤退した後は、耐寒耐雪改造を施され日本海側の新天地へと活躍の場を移した。偶然か必然か、かつてE653系485系常磐線から追い出したようにここでも老朽化した485系を置き換えることになったのだった。

 日本海側への転属では塗装がそれまでのものから大きく変更され、印象を一変させた。そのうち、4両編成で新潟~新井・上越妙高間にて運転される特急「しらゆき」に使用されるE653系は、その名に合わせ雪を思わせる白を基調に日本海と青空を表した2色の青の帯、そして日本海へ沈む夕日をモチーフにしたオレンジ帯をあしらった塗装になった。

 個人的にはE653といえばやはりフレッシュひたち時代の塗装が一番なのだが、このしらゆきの塗装はかつて特急「かがやき」で運用されていた485系の塗装を彷彿とさせる部分があり、かなりストライクゾーンに響く塗装だった。この「しらゆき」を偶然撮れるチャンスがあり、撮影したのが下の一枚だ。

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 新潟電車区485系T18編成が引退する際に団体臨時列車が運転されたのだが、これを撮影しに行った折に前走りでやってきた「しらゆき」を撮影することができた。水平線まではっきりと見える五月晴れの中、友人たちと信越本線笠島~米山の俯瞰に陣をはり485系を待っていた。そんな中やってきたのがスノーホワイトのボディのE653系「しらゆき」だった。5月の山々に緑あふれる中、日本海を背に走り去るその姿は、日本海縦貫線に少し新時代の到来を感じさせた。

Report No.113 夏休み

 子供時代、夏休みとなると心躍った方も多かったはずだ。そして家族や友達と海水浴に海に行った方も少なからずいるだろう。そんな海水浴客のために夏の特定期間だけ開業する駅が四国にある。牟岐線田井ノ浜駅は、田井ノ浜海水浴場に隣接する臨時駅で、海水浴場の利用客数がピークを迎える時期にだけ列車が停車するようになる。例年、田井ノ浜駅は7月中旬から8月の初旬に開設され、開設期間は一部特急も停車する立派な駅になる。

 鉄道と海、特に海水浴場というテーマを撮ろうと思うと、実のところ案外そういった場所は限られてくる。さらにそれに加えて非電化路線となると殊更場所が限られてくる。そこで目を付けたのが田井ノ浜駅だった。田井ノ浜駅の位置する場所は少し奥まって湾のようになっており、駅からあるいて15分ほどのところの岬の展望台へ行くと海水浴場と駅を見渡すことができる。思い描いていた夏の鉄道風景として理想形がそこにあった。

 そうと知ればもうあとは行くだけだ。だが、気付くのが些か遅く、田井ノ浜駅の営業期間は既に終わっていた。しかしながら、世間でいえばまだまだ夏休み、SNSなどで情報収集してみるとまだまだ海水浴客は多くはないが訪れているようだった。一か八か、晴れの日を狙って四国は徳島へ向かうことにした。 

 狙うは牟岐線の特急「むろと」だ。むろとで主に使用されるキハ185系は四国色と呼ばれる水色の帯をあしらったものでまさに夏にぴったりの被写体だ。お盆明けの8月19日、気温30度を超す猛暑の中、大粒の汗を流しながら岬の展望台へ上った。

 9時を過ぎたあたりから徐々に海水浴客が増え始め、大勢というわけではないが”夏”を演出することができ始めていた。2本ほど普通列車が行ったあとはついにお目当てだ。

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10時半過ぎ、浜辺に海水浴客が増えてきたところでキハ185系特急「むろと」が軽快に走ってきた。さんさんと降り注ぐ太陽のもと、青く透き通る海、白い砂浜、海水浴客、そして非電化路線を走るディーゼルカーと求めていた条件すべてがそろった。

汗を拭くのも忘れて茂みから列車が出てきたところで夢中でシャッターをきった。