ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.116 異端児

 かつては雪国の鉄路の象徴とも言えた除雪車だが、近年では国鉄時代に製造されたものの老朽化廃車や除雪モーターカーの置換導入、降雪量の減少による用途廃止によって徐々にその数を減らしている。だが中には除雪車としての使用を終えたのち、その他の用途に転用されたものが存在する。現在JR貨物に所属するDE10形3000および3500番台がその一例で、これらはもともとJR東日本に所属していたラッセル式除雪車、DE15であり、モーターカーへの置き換えに伴って余剰となったものを貨物機として再整備したものである。DE15は除雪用ラッセルヘッドの連結器が装備されていることなど一部の細かい差異を除けば基本的にDE10と何ら基本設計は変わらないので、そのままの状態でも貨物機として使用できる。だが、JR貨物への転用にあたっては使用しないラッセルヘッド連結器、ブレーキ配管などが撤去されDE10へと編入された。これによってぱっと見は他のDE10と変わらないように見えるようになったのだが、よくよく見ればDE15由来であることがわかる。例えば、ボンネット前部のオデコ部分にあるフックや少し外側に寄った尾灯などがその痕跡である。ボンネットのオデコ部分のフックはDE10では本来ボンネット前部のナンバープレートの真上、車体中央部のところに設置されているのだが、DE15ではここにラッセルヘッド用連結器を装備していたことから邪魔になるためフックが正面向かって左側にうつされている。このためその特徴を受け継ぐDE10-3000/3500ではフックが中心からオフセットされた場所にあるのだ。尾灯もDE15ではラッセルヘッド用連結器を避けるように車体外側に尾灯が寄せられていたため、他のDE10と違い少し”離れ目”になっている。他にも前面部のルーバーの有無や点検蓋のサイズなどDE15譲りの部分が散見される。

 現在、DE10-3000/3500は主に仙台と東新潟機関区に所属しており、本線での貨物列車牽引運用をこなす傍ら、入れ替え機としても使用されている。だが本線運用は決して多いわけではなくなかなか狙いにくいというのが実情だ。ひょんなことから信越地方で出向くことがあり、その帰り道、ついでにと立ち寄ったのがその少ない本線運用の一つが見れるJR貨物新湊線だった。ちょうど田植えが始まったころの5月であったのであわよくば沿線の田んぼで水鏡ができないかと思ったのだが現実はそう甘くなかった。たしかに田に水は張られていたのだが、時すでに遅し、苗が植え付けられた後だった。まぁこういう日もあるさ、と友人たちと話しつつ農道に陣を張り主役の登場を待った。f:id:limited_exp:20180122234202j:plain

五月晴れの中、ゆっくりとやってきたのはDE10-3513牽引の高岡貨物行の貨物列車。水鏡ができなかったのは残念だったがやってきたのはDE15改造の異端児。少し儲けものだ。

 原型DE10も捨てがたいところだがこういった変形機もまた別の意味で写欲をくすぐる。機会があればぜひまた再訪したいところだ。

Report No.115 四国色

 JR化後、各地でそれぞれの地域にちなんだ色を使用した所謂”地域塗装”や”地域色”と呼ばれる塗装が車両に施されるようになった。単調な色と塗分けが多かった国鉄色に対して、地域色ではさまざまな色で斬新な塗分けを採用することでブランド化を図るだけでなく卒・国鉄を印象付ける目的もあったのだろう。

 JR四国では、国鉄から継承した車両の多くを四国色と呼ばれるアイボリー地にコーポレートカラーの水色帯を巻いた塗装に変更し、車両のイメージアップを図った。車両によって塗分け方に差異はあるものの、車体上半分と下半分で塗分けるなどの簡単な塗分けが多かった国鉄色に対して、四国色では細帯を取り入れたり、前面は斜めで塗分けたりと意匠を凝らした塗装になった。一時期は四国島内の車両の大多数がこの塗装を纏っていたが、その後の車両置換や塗装変更でずいぶんと数を減らしてきている。さらに言えば、JR化後に製造された新系列普通車気動車にはこの塗分けが継承されなかったことから四国色を纏っているものは国鉄型のみである。

 お盆も過ぎたころの昨年8月、夏の鉄道風景を撮りに行こうと徳島へ赴いた際(Report No.113 夏休み - ぽっぽ屋備忘録)、ついでにとこの四国色を纏ったキハ40系列を撮影することにした。徳島に所属するキハ40系列について言えば、現在既に主力運用は新型車両にとって代わられており、もっぱら路線末端運用やラッシュ時運用、臨時運用のほうが主となっている。更には一部車両が国鉄時代の朱色一色塗装「首都圏色」に変更されていることもあり四国色で統一された編成を撮ることは以前ほど簡単ではなくなってきているのだ。

 さてさて、そんな状況の中、夏場おいしい運用として被写体に選んだのは牟岐線の朝の3連運用530D。この列車は徳島側からキハ40、キハ47、キハ47の順で組まれた編成で運転される列車だ。そもそも時間帯的に撮影できる箇所は数か所しかないのだが、お盆も過ぎると徐々に秋の訪れとともに日の出時刻は遅くなり、太陽方位も南に下がってくるため、撮れる場所はさらに制限されてくる。そこで選んだのが牟岐線は阿波中島-阿南の築堤区間だった。

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 まだまだ残暑厳しい中、田んぼ脇に友人たちと陣を張り四国色3連がやってくることを祈りながら待った。7時半ごろ、夏空の元、四国色3連キハ40がやってきた。背景奥には育ちだした積乱雲らしき雲、手前には重く頭を垂れだした稲穂。夏の匂いにどこか懐かしいディーゼルの香りを混ぜて四国色が駆け抜けていった。

Report No.114 新天地

 JR東日本では1993年以降導入した新形式には形式番号の頭にEを付与するようになった。これは東を意味する英語”East”の頭文字のEをとったものだ。国鉄の分割後、各社で形式番号を付与していく中で、番号だけの形式付与では形式が被る可能性が出てきたからだ。

 1997年、JR東日本の交直流両用特急電車として初めてEを頭に付けた車両が登場した。常磐線で「ひたち」として運用されていた485系を置き換えるために導入されたE653系である。高速感あふれる流線形高運転台の先頭車、編成ごとにことなる5色の帯色を採用するなど常磐線特急のイメージを一新させるものだった。だがそれももう20年前の話。2013年に常磐線運用から撤退した後は、耐寒耐雪改造を施され日本海側の新天地へと活躍の場を移した。偶然か必然か、かつてE653系485系常磐線から追い出したようにここでも老朽化した485系を置き換えることになったのだった。

 日本海側への転属では塗装がそれまでのものから大きく変更され、印象を一変させた。そのうち、4両編成で新潟~新井・上越妙高間にて運転される特急「しらゆき」に使用されるE653系は、その名に合わせ雪を思わせる白を基調に日本海と青空を表した2色の青の帯、そして日本海へ沈む夕日をモチーフにしたオレンジ帯をあしらった塗装になった。

 個人的にはE653といえばやはりフレッシュひたち時代の塗装が一番なのだが、このしらゆきの塗装はかつて特急「かがやき」で運用されていた485系の塗装を彷彿とさせる部分があり、かなりストライクゾーンに響く塗装だった。この「しらゆき」を偶然撮れるチャンスがあり、撮影したのが下の一枚だ。

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 新潟電車区485系T18編成が引退する際に団体臨時列車が運転されたのだが、これを撮影しに行った折に前走りでやってきた「しらゆき」を撮影することができた。水平線まではっきりと見える五月晴れの中、友人たちと信越本線笠島~米山の俯瞰に陣をはり485系を待っていた。そんな中やってきたのがスノーホワイトのボディのE653系「しらゆき」だった。5月の山々に緑あふれる中、日本海を背に走り去るその姿は、日本海縦貫線に少し新時代の到来を感じさせた。

Report No.113 夏休み

 子供時代、夏休みとなると心躍った方も多かったはずだ。そして家族や友達と海水浴に海に行った方も少なからずいるだろう。そんな海水浴客のために夏の特定期間だけ開業する駅が四国にある。牟岐線田井ノ浜駅は、田井ノ浜海水浴場に隣接する臨時駅で、海水浴場の利用客数がピークを迎える時期にだけ列車が停車するようになる。例年、田井ノ浜駅は7月中旬から8月の初旬に開設され、開設期間は一部特急も停車する立派な駅になる。

 鉄道と海、特に海水浴場というテーマを撮ろうと思うと、実のところ案外そういった場所は限られてくる。さらにそれに加えて非電化路線となると殊更場所が限られてくる。そこで目を付けたのが田井ノ浜駅だった。田井ノ浜駅の位置する場所は少し奥まって湾のようになっており、駅からあるいて15分ほどのところの岬の展望台へ行くと海水浴場と駅を見渡すことができる。思い描いていた夏の鉄道風景として理想形がそこにあった。

 そうと知ればもうあとは行くだけだ。だが、気付くのが些か遅く、田井ノ浜駅の営業期間は既に終わっていた。しかしながら、世間でいえばまだまだ夏休み、SNSなどで情報収集してみるとまだまだ海水浴客は多くはないが訪れているようだった。一か八か、晴れの日を狙って四国は徳島へ向かうことにした。 

 狙うは牟岐線の特急「むろと」だ。むろとで主に使用されるキハ185系は四国色と呼ばれる水色の帯をあしらったものでまさに夏にぴったりの被写体だ。お盆明けの8月19日、気温30度を超す猛暑の中、大粒の汗を流しながら岬の展望台へ上った。

 9時を過ぎたあたりから徐々に海水浴客が増え始め、大勢というわけではないが”夏”を演出することができ始めていた。2本ほど普通列車が行ったあとはついにお目当てだ。

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10時半過ぎ、浜辺に海水浴客が増えてきたところでキハ185系特急「むろと」が軽快に走ってきた。さんさんと降り注ぐ太陽のもと、青く透き通る海、白い砂浜、海水浴客、そして非電化路線を走るディーゼルカーと求めていた条件すべてがそろった。

汗を拭くのも忘れて茂みから列車が出てきたところで夢中でシャッターをきった。

Report No.112 帰郷

 大陸鉄道の醍醐味の一つといえば、やはり島国たる日本ではお目にかかれない国際列車だろう。もちろん定期の国際列車もあれば臨時、団体の国際列車もある。各国、電化方式や信号方式など様々な違いこそあれど、陸続きでかつ線路幅が同じというだけで様々な国の様々な列車がやってくる。

 ドイツを中心に運転される団体旅行列車にAKEラインゴルトというものがある。以前取り上げた保存会によるラインゴルト号の運転(Report No.105 ニーベルンゲンの宝 - ぽっぽ屋備忘録)とは違い、こちらはツアー会社がラインゴルト客車を保有しており、ライン川沿いを運行するツアーを主として運用されている。ドイツ国内の運用が多いのだが、時折、オーストリアやスイスといった近隣諸国へ足を延ばすツアーが運転されることがある。牽引機は場合によってまちまちだが、基本的にはクリームと赤のツートン塗装、いわゆるTEE塗装のE10型電気機関車が担当することになっており、客車も同じTEE塗装になっているので牽引機さえそろえば往年のラインゴルト号さながらの走行を拝むことができる。

 今夏のヨーロッパ遠征では、ちょうど帰国前日の9月17日に運転があることがわかっていた。今回はAKEラインゴルトがオーストリアへのツアーからラインゴルトがドイツへ帰ってくるということであったので、フランクフルトから夜通しICEで移動しミュンヘン経由で遥々オーストリア国境近くの田舎町、Überseeまで足を延ばした。あいにく低い雲が垂れこめる天気で、9月というのにもういかにも秋の終わりかと思うほど寒い気温であった。Übersee駅から歩くこと20分ほど、農道わきの線路沿いで撮影することにした。本来はもう少し歩いた場所にある俯瞰撮影地に行こうかと考えていたのだが、あいにくの天気と気温とあって、駅近くでお茶を濁すことにしたのだった。

 さすがオーストリアとドイツを結ぶ幹線とあってひっきりなしに貨物や旅客列車がやってくる中、AKEラインゴルトの通過を待った。事前に手に入れていた時刻から予測すると大方昼過ぎごろの通過と思われた。

f:id:limited_exp:20171210172426j:plain 時折冷たい雨に打たれながら待つこと4時間。読み通りの時間帯にAKEラインゴルトはやってきた・・・のだが何かおかしい。近づいてきてようやくその違和感の理由がわかった。機関車がE10ではなくベクトロンシリーズと呼ばれるシーメンス製の量産型新型電機だったのだ。いささか落胆しつつ保存車両とは思えぬ快速っぷりで飛ばしていくのを見送った。後から聞くところによればこの塗装は特別塗装で、数機しか同様の塗装はいないらしいので、得をしたといえばしたことになりそうだ。次回渡欧時に運転があればぜひともE10牽引のAKEラインゴルトを撮影してみたいものだ。

Report No.111 冬光線

 山陽方面へのレール輸送は、大抵の場合、宮原区常駐の下関区所属EF65-1000が牽引するのだが、時たま宮原所属のDD51が牽引に充当されることがある。だが、山陽本線方面のレール輸送のダイヤは夜もしくは早朝に向日町に帰ってくるものが多く、日が長いうちしか撮れない。東海道本線を上って早朝に向日町に帰ってくるダイヤにはいくつかあり、5時00分着、5時55分着、6時06分着、7時12分着などがある。夏場であれば、5時台のダイヤでも十分撮影することができるのだが、冬至が近くなってくると当然ながら日の出、日の入りが早くなり日中の太陽高度もかなり低くなり、撮影できるものが限られてくる。この状況では、天気とDD51の運用とダイヤという3要素がきっちり合致しなければ、撮影できないわけで、なかなかに難易度が高い。

 そんな折、友人から11月28日に向日町7時12分着でDD51牽引の山陽方面ロングレール輸送の返却があるらしいとの報をもらった。この時期、日の出は既に6時後半なのでかなり厳しい条件に思えた。11月28日の京都の日の出時刻を調べると、6時43分。撮影できる場所といえば山崎駅界隈だが、夏に撮影したデータなどを見返していると通過は7時過ぎ、太陽高度を調べてみると当該時刻の高度は4度程度。なんとも厳しい露出条件だ。だが晴れならば期待はできる。

 当日は凍えるように寒かったが雲一つない快晴。始発1本あとの列車に乗って山崎駅へ向かった。駅で友人と落ち合い、定番のサントリーカーブ奥の撮影地へ。ついてみるとまだまだ線路は影の中。あと30分で影が抜けるのだろうかと心配しながら設営。しばらく待っていると先頭がくるであろう切り位置あたりはレールに日が差してきた。編成途中に落ちる影はもうあきらめるしかないが切り位置に光が当たったのはうれしい。サンダーバードや貨物が行った後はついに本番だ。

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 島本方面から2灯のライトを輝かせ赤い機関車が邁進してきた。前面2/3面にあたる赤い朝日、揺らめく排気、エンジンの咆哮、空荷のチキの軽いジョイント音。冬の朝に素晴らしい朝練ができた。

Report No.110 Guten Morgen

 日本では既に絶滅危惧種とすら言える機関車牽引の客車寝台列車だが、海を渡った諸外国ではまだまだ全盛のところもある。中国やロシアならば大陸を横断するような夜行列車が数多く運転されているし、数を減らしてきてはいるもののヨーロッパでもドイツ発スイス経由オーストリア行のような国際寝台列車が運転されている。

 大陸で運転されている寝台列車の多くが客車列車なのは理由がある。一つ大きな理由は、国同士が陸続きで鉄道がつながっていても各国の鉄道の仕様が異なることがあげられる。例えば、電化方式だけでみてもドイツ、スイス、オーストリアは主に交流15000V、16×(2/3)Hz電化だが、イタリアでは直流3000V電化、オランダでは直流1500V電化と様々な規格が混在している。更に、各国によって要求される走行性能も異なる。オランダのような平坦な土地が多いところでは山岳向けの高出力車両はあまり必要ないが、スイスやオーストリアなどアルプス越えが存在する鉄道では高出力の山岳向け車両が必要になる。こういった様々な仕様を考えた場合、複数電源に対応した車両や汎用性の高い走行性能を持たせたを製造するよりも、汎用客車を用いて国ごとに機関車を付け替える方法をとる方がよっぽど安上がりなのだ。

 ヨーロッパ圏内で運転されている寝台は種々あるが、そのうちオーストリア連邦鉄道(ÖBB)が運行しているものはNightjetというブランドで運行されており、ドイツ、スイス、オーストリア、イタリアで運行されている。また、その他クロアチアなどへ向かうものもナイトジェットパートナーとして運行されている。このうち何本かはスイス国内を早朝通過するものがあり、欧州遠征中にぜひともスイスで記録したいと考えていた。向かった先はスイスとリヒテンシュタインの国境の街、Sevelen。ここはスイスとリヒテンシュタインの間を流れる川に沿って谷間になっており両岸にはいかにも中央ヨーロッパらしい山々が連なっている。ここを早朝通過するのはEN464列車とEN466列車なのだが、訪問した9月14日は山影の都合上、EN464列車のみがベストコンディションで撮れる状況だった。

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 前日にボーデン湖のほとりのアルボンに宿を取り早めに就寝。早朝、まだ暗いうちから電車に乗って凍える寒さの中Sevelenの駅に降り立った。幸先よいことに空は雲一つない快晴。吹き付ける風に震えながら農道の脇の撮影地に着いた。まだ山影のうちから構図確認などをしていると前走りでEN466列車が通過していった。そしてそこから待つこと約1時間、鋭い朝日に鼻筋を浮かび上がらせてRe420牽引のEN464列車がやってきた。故障なのか前パンタが半上がり状態なのが些か不満ではあるが朝の素晴らしい光線の元撮れたことで大変満足だった。この後は少し撮影を続行したのち、翌日のVSOE撮影(Report No.104 走る舞台 - ぽっぽ屋備忘録)に向けてWassenへとコマを進めたのだった。