ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.75 みかんの丘

 みかんの花が 咲いている
 思い出の道 丘の道
 はるかに見える 青い海
 お船がとおく 霞んでる

 1946年に発表された日本を代表する童謡の一つ、「みかんの花咲く丘」の一節だ。この歌は静岡県伊東市をモデルにした歌で、太平洋とみかん畑の続く静岡の情景を情緒豊かに歌い上げている。さて、この歌自体は静岡県なのだが、みかん収穫量で見ると、和歌山県が日本一の生産量を誇る。和歌山県は有田川流域で生産される「有田みかん」などが有名どころだろうか。和歌山県に行くと、日当たりのよさそうな山々が開墾され整然とミカン畑が山肌に沿って広がっており、まさに「みかんの花咲く丘」といった情景なのである。

 そして、和歌山を走る幹線鉄道といえば三重から亀山から新宮を経て海側をまわり和歌山市駅に至る紀勢本線である。特に新宮~和歌山市間は海と山の間を縫って走るためカーブがきつく、一部特急列車が振り子車両で運転されている。2015年まで振り子車両は国鉄時代に導入された381系とJR化後に導入された283系の2種類あった。381系は和歌山市駅基準で新宮側先頭車にパノラマ展望改造車を連結したり、白浜アドベンチャーワールドのPR目的で一部車両にパンダを模したシートを導入するなど創意工夫を凝らしていた。そんな381系も、老朽化のため新鋭287系に置き換わることとなり、2015年10月30日をもって紀勢本線での運用から撤退した。 

 引退の迫ったあるとき、入院していた友人のお見舞いも兼ねてと友人に誘われて和歌山のすこし南、有田川周辺へ381系「くろしお」を撮りに行った。どこか和歌山らしい風景で381系が撮れぬものか、と現地で地図を確認しているとどうやら紀勢本線を見下ろす形でみかん畑の山々をバックに撮れそうな場所があるではないか。友人に落石や落ち葉まみれの細い山道を運転してもらいついた頂上から見下ろすと・・・どうだろう、有田川橋梁を一望できる俯瞰撮影ポイントだった。到着後十数分でちょうど381系「くろしお」がやってくる。いそいそと設営し通過をまつ。

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 しばらくして、柔らかい西日の中、381系「くろしお」が軽やかに駆けてきた。あいにくと「みかんの花咲く」季節ではなかったのが残念だが、ミカン畑に囲まれた谷合を走り抜ける381系の姿はどこか懐かしいものがあった。

Report No.74 Morning Glitter

 愛知機関区には現在DD51-1146、DD51-1147、DD51-1156、3機の旋回窓付DD51が所属している。このうち、DD51-1147は、2012年10月に鷲別機関区から門司機関区へ転属したものの翌年7月に山口線山陰本線の豪雨災害線路流出に伴い岡見貨物が廃止され余剰となり、2014年に愛知機関区へ再転属となり永らく運用されず愛知機関区の留置線に休車として置かれていた。しかし去年、2016年になって、同機関区所属機の検査期限の関係などから1146号機、1156号機に続き再整備が行われ8月に運用復帰を果たした。もっとも、再整備されたとは言っても全般検査だったわけではなくDF200が本格投入されるまでの中継ぎとして重要部検査などだけだった模様で塗装などは剥離が激しい部分のみとなっているためお世辞にもきれいな状態とは言えないのだが・・・。しかし、ちゃっかりとスノープローは外され愛知機関区特有のATS保護板に交換されており、旋回窓スノープローなしATS保護板つきA更新というさしずめ”雪国ハーフ”といったいで立ちになっている。

 さて、2017年新年あけて初めての撮影として1月5日にふらっと四日市へ行ってみることにした。あくまでDD51が撮れればそれでいいだろう程度の軽い気持ちでまずは夜、富田駅へ6287レの牽引機の確認にむかった。すると牽引機は旋回窓機としてはまだ未撮影のDD51-1147。6287レは早朝まで富田駅に停車し、その後四日市を経て塩浜まで運転される。塩浜到着は7時半前とあって時期柄、早朝の走行のため光線が当たるかは正直微妙だったのだが、せっかくなので近鉄塩浜駅の跨線橋から超望遠で狙ってみることにした。すると、どうだろう、到着時刻直前あたりから自分が切り位置に定めた場所が少しずつ建物の影から抜け始めていた。「案外罐だけでも光があたるのでは?」

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 朝の通勤時間、横をひっきりなしに近鉄が行きかう中、DD51前照灯をめいっぱい光らせてやってきた。光線は切り位置にちょうどスポットライトのように当たっていた!DD51-1147の顔全体が光に包まれた刹那、夢中でシャッターを切った。新年早々、6287レ塩浜到着でいいものが撮れた。

Report No.73 ラストナンバー

 649両製造されたDD51のうち、最後に製造されたのは800番台の1805号機である。現在愛知機関区に所属する1805号機は、当初、佐倉機関区に新製配置され成田空港への航空燃料輸送で活躍し、その後は千葉地区で貨物輸送にあたり、その後吹田機関区、愛知機関区と各地の機関区を渡り歩いてきた車両である。そして、1805号機はいまやJR貨物所属機としては数少なくなった原色機である。佐倉機関区のころとスノープローの取り外しや無線アンテナの取り付け、ATS保護板の取り付けなど内外を通してその形態は大きく変わったが原色というところは変わらなかった。さすがに852号機や853号機といった切り抜きナンバーの車両などにくらべれば人気は劣るように感じられたが、それでも、魅力的な一両である。

 愛知機関区のDD51には大きく分けてコンテナ、石油、セメント、フライアッシュの4運用がある。このうち、セメント貨物は、三岐鉄道からのセメント貨物を富田で受け取り、四日市のセメント工場までを結ぶ運用であり、1日に数往復設定されている。しかし、地図を見ればわかるのだが、富田~四日市は非常に短い運転区間であり、工場や住宅が密集しているため撮影地もあまり多くはない。だが、今や日本最後になってしまったセメント貨物をDD51が牽引するとあって、意外と人気の高い列車である。

 2016年11月12日、朝の5263レを撮影したあと、1805号機がセメントに入っていることを知っていたので、富田浜~四日市の撮影地に車を走らせた。

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 この日は雲一つない快晴、撮影地に到着し設営し5271レで構図を確認。9時半すぎのセメント第1便、5363レを待った。9時35分、快晴の元、原色1805号機がセメント貨物を牽いて坂を駆けあがってきた。うっすらとたなびく黒煙の香ばしい臭いとセメントを積んだ重いジョイント音が印象的だった。

Report No.72 Express

 今や定期列車から消えてしまった急行列車であるが、かつては関西圏でも多くの急行列車が運行されていた。その一つが、急行「だいせん」であった。2004年に廃止された急行「だいせん」は、末期こそキハ65による運転であったが、1999年10月までは昼行はキハ58などが担当し、夜行はDD51が12系、14系、20系などを牽引する客車急行列車であった。客車列車として設定されていた方は、大阪~出雲市東海道、福知山、山陰経由で結び、時たまDD51の後藤車両所への入出場回送を兼ねて重連牽引、はたまた3重連となったり”ネタ”に富んだ列車であったそうだ。

 「だいせん」なき今、東海道本線DD51牽引の客車列車が走行することは、ごくまれになってしまった。そんな中、2016年はディーゼル機関車機関士養成のためにDD51と12系5両を使用した通称「網干訓練」が半ば定期のごとく数多く設定されており、年内を通じ楽しめた1年であった。

 年の瀬の12/28、網干訓練の運転があるということで山陽本線 垂水~舞子の撮影地へ。実は前日も設定があったらしいのだが、人身事故の影響で設定取り消しとなってしまったらしい。この日ばかりは・・・・と思い、意気揚々と2時間以上前に撮影地に着くとすでに知り合いがおり場所を少し融通していただいて設営。

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 時折晴れ間は除いていたものの、途中から雲行きが怪しくなり通過予想時刻直前から太陽は薄雲の中へ・・・。直前の上り普通電車が行ったあと、しばしの間をおいてDD51-1192に牽引された12系客車がやってきた。重く低いディーゼルエンジン音、軽やかな客車のジョイント音。これほど旅情を掻き立ててくれるものもないだろう・・・。

Report No.71 赤鼻

 愛知機関区に所属するDD51の多くは、貨物運用を主目的とした800番台車である。現在所属している800番台車は休車のものも含めて13両。そのうちの最若番は、1970年9月8日製造のDD51-825である。825号機はもちろん800番台車の中でも初期の機関車であり、切り抜きナンバーをはじめ初期車特有の3分割ラジエーターカバー、解放テコの取り回し、屋根上構造の違いなど様々なところで他と比べ差異がある。

 更に極めつけは、825号機がA更新車であることだ。825号機を除くA更新車は全てブロックナンバープレート方式であり、ナンバープレートは白で塗装されている。しかし、825号機は、切り抜きナンバーのためブロックナンバープレート方式のように白で塗装することができない。このため、ナンバーまわりはボンネット同様、赤で塗装されており、A更新車唯一の”赤鼻の機関車”となっているのだ。

 過去の例を見れば、九州地区などで使用されていた原色機DD51の前面ナンバープレートやその周りがブロック式ながら赤で塗装されていたことがあった。しかし、ボンネット上部はグレーで塗装されていたし、ライト周りには白帯が巻かれていたので赤鼻というほどではなかった。

 切り抜きナンバーの初期車がA更新工事を受けたからこそ実現した組み合わせである825号機の塗り分けは、個人的に前から興味を持っていたのでチャンスさえあればなくなるまでに一度はどんな形ででも撮りたいと思っていた。だが、天候や運用、自身の予定がかみ合わずなかなか撮れずにいた。そんなある日、ちょうど予定のなかった晴れの日に運用を見ると昼の79レに825号機が重連次位で運用に入っていた。この運用では何もなければこのまま返しの5380レで825号機が先頭に出る。実は裏で網干訓練も走っていたのだが、次にいつ825号機が撮れるともわからないのでこちらを優先。日没が厳しいことは知っていたが清州駅北側の踏切へ向かい通過を待った。

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 やはりこの時期、駅の影や植え込みの陰などが見る間見る間に延びる。つるべ落としとはよく言ったものだ。塩浜へ向かう75レが通過したあと少しして今にも影に飲まれそうな東海道本線を赤鼻の825号機先頭に5380レがやってきた。光線は1/3面光といったところか。

 次にチャンスがあればまた撮りたいものだ。

Report No.70 It's a small world

 新幹線や一部私鉄の1435mm、京王線・都営新宿線の1372mmを除けば日本の鉄道の大部分は軌間1067mm、いわゆる狭軌と呼ばれる軌間で敷設されている。しかし、このほかにさらに狭い軌間で敷設されている鉄道も存在する。狭軌よりも狭い軌間特殊狭軌と呼ばれる762mm軌間や610mm軌間を採用するいわゆる「軽便鉄道」の類だ。軽便鉄道は、その軌間故、車両を小さくつくらねばならないので輸送力は必然的に1067mmや1435mmには劣ることになる。しかし、反面、建設費が安く済むため一時は日本国内でも多くの軽便鉄道が建設された。そのうち、のちに国鉄へ転換されたものを除けば、そのほとんどが廃線となった。今や国内で営業鉄道として残る軽便鉄道四日市あすなろう鉄道三岐鉄道北勢線黒部峡谷鉄道の3つのみである。

 そのうち一つ、三岐鉄道北勢線は、西桑名駅から阿下喜駅を結ぶ1914年に建設された歴史ある20.4kmの軽便鉄道線である。歴史あるこの路線の中でも特に有名なのが「めがね橋」と「ねじり橋」である。このうち「めがね橋」は全国に数あるめがね橋の中でも珍しいコンクリートブロック製であり、北勢線でも特に有名な撮影地である。あるとき、四日市DD51の撮影に行った帰りにせっかくの晴天を無駄にするものもったいないと帰り道に友人と立ち寄ってみた。すると橋の前には少し終わりかけであったがコスモス畑が広がっており、あと20分ほどで列車が来るようであったので少し待ってみることにした。

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 しばらくして踏切が鳴り、やってきたのは黄色い3両編成の小さい電車だった。小さな長さの違う3両の電車。釣り合わない大きいパンタグラフ。もし、軽便鉄道が全国にもっと残っていればこんな風景を他にも見れたのだろうか。

 比較的近くには四日市あすなろう鉄道もある。近く訪れてみるのもいいかもしれない。

Report No.69 煤煙の記憶

 福知山線の宝塚~福知山間、山陰本線の福知山~城崎温泉間が電化され今年で30年になる。両区間とも現在では電車特急が闊歩する路線となっているが、電化前までは気動車優等列車や客車列車の楽園であった。キハ58やキハ181といった気動車が往来する中、客車列車を牽引していたのは主にDD51であった。「出雲」、「だいせん」といった山陰本線の顔を牽いていたのはもちろんDD51であり、まさに主役であった。

 電化後、昼夜運転されていた「だいせん」は昼行列車が183系を使用した電車特急「北近畿」へ統合され廃止となり、夜行のみの運転となったのち運転区間の縮小、さらには気動車化され客車列車としての歴史に幕を下ろした。また、最後までDD51牽引の客車列車として残っていた寝台特急「出雲」も2006年3月18日ダイヤ改正をもって廃止となり両線区の客車列車は完全に過去帳入りしたのだった。

 さて、この2016年、30周年を記念して電化記念列車が運転される運びとなった。はじめ聞いたときは「どうせ、381系か117系あたりを使った列車が走るのだろう」と高を括っていたのだが、よくよく聞くとDD51牽引でサロンカーなにわが走るという。ここ最近、福知山線山陰本線で客車列車の運転が少なく、なかなか記録できずにいたところへこの運転の知らせとあって、運転日、2016年7月18日の1週間前から意気揚々とレンタカーを予約したのだった。

 いざ前日になってみると天気予報はどうもご機嫌斜め。完全に丸つぶれ、というわけではなかったが、晴れるかどうかは少々疑問符が残る空模様だった。それでも気の合う友人たちとの久々の鉄とあってレンタカーを駆って福知山方面へと足を延ばした。谷川駅付近や丹波竹田付近のストレートで往路を狙ったのだが、どちらも厚い雲に阻まれあえなく撃沈。少々士気の下がる中、復路を狙うため、山陰本線の国府~江原の撮影地へ。

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 着いてみるとすでに雑木林のように三脚が林立する場所取り合戦。圧倒される中なんとか場所を確保して通過を待った。雲が太陽の前を往ったり来たりとヒヤヒヤしながら、神頼み。通過時刻が近づくにつれてだんだんとあたりは晴れ間がのぞくようになった。「ピイッ!」っと軽い汽笛一声聞こえたかと思うと踏切が鳴ってDD51-1191が煤煙濛々とサロンカーなにわ6両を引き連れてやってきた。ここまでの黒煙が上がるのをみたのはいつぶりだろう。初夏の日差しの中、煤煙の記憶に思いをはせた。