ぽっぽ屋備忘録

にわかな鉄道好きによる日々の撮影の備忘録

Report No.68 珍道中

 何事も練習あるのみ、とはよく言ったものだが鉄道もまた例外ではない。電車、気動車電気機関車ディーゼル機関車、新幹線、さまざまな車両で乗務員の訓練が日夜行われている。JR旅客各社の場合、電車や気動車であれば営業列車を用いての訓練を行うことができるのだが、機関車となるとそう簡単にはいかない。なぜなら、今や機関車牽引の定期列車は皆無であり、不定期に工事用の列車や臨時列車の牽引などのために走るのみだからだ。このため、例えばJR西日本であれば網干訓練(Report No.10 網干訓練 - ぽっぽ屋備忘録)、JR東日本であれば信越訓練(Report No.50 Give me chocolate! - ぽっぽ屋備忘録)などのように営業列車とは別に様々な訓練列車を仕立てて乗務員の養成・訓練を行っている。

 JR四国もまた不定期にDE10を用いた乗務員訓練列車が運転されている。JR四国の場合、客車は既にないため、レール輸送車であるチキ6000などを用いて乗務員訓練を行っている。ところが11月、ネットで乗務員訓練の写真を見て驚愕した。なんと、チキではなくキハ185系が用いられているではないか。更には中間車にはアイランドエクスプレス車が組み込まれているではないか。知人から「晴れそうな日があれば行ってみないか」と誘われたこともあって、顔なじみ3人と幾年か振りに四国へ渡ることにした。

 道中知人たちを拾いつつ朝、四国は多度津へついてみると晴れ予報は一転曇りの様相。2往復運転される乗務員訓練のうち1本目はいく撮影地全てで曇りとなってしまい些か残念な結果に。このまま2往復目も曇ってしまうのではないかと思われた。2往復目の往路を撮る場所として選んだのは土讃線 黒川~讃岐財田のカーブ。最初は雲が多く晴れるかどうかやきもきしたが通過時刻が近くなるにつれて青空の面積が増えてきた。

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 南風や2000系出場回送が通過した後、ゆっくりとカーブをキハ185系を引き連れてDE10-1139がやってきた。少々色あせて錆びもうき、色あせたディーゼル機関車、こういうと聞こえは悪いがこれぞ現役の罐といったところか。赤、青、銀、オレンジ、色とりどりの風が真横を通り過ぎて行った。

Report No.67 面影

 2000年以降、青い機関車と青い客車、「ブルートレイン」と呼ばれ親しまれた寝台列車たちの時代は高速道路網の発達や新幹線網の延伸、航空券の低価格化などによって続々と終焉を迎えた。京都~長崎を結んだ寝台特急「あかつき」もその一つであった。「あかつき」は、1990年から「レガートシート車」と呼ばれる14系座席車を連結するなど旅客の誘致に努力していたが、旅客減少と車両老朽化には逆らえず、2008年3月14日ダイヤ改正をもって、当時併結列車であった「なは」と共に廃止となった。

 廃止から8年以上がたった今年、長崎デスティネーションキャンペーンが開催されることに合わせて大阪から長崎まで14系大サロこと「サロンカーなにわ」による臨時列車が日本旅行主催で運行されることになった。その名も「サロンカーあかつき」。日本旅行の公式プレスによれば「あかつきをイメージしたヘッドマークを掲出します。」とのことであったので、いつもサロンカーなにわを使用する際の臨時列車のようなサロンカーなにわのヘッドマークをアレンジしたオリジナルヘッドマークが掲げられるものと思っていた。 すると数日前になって風の噂で流れてきたのは往路純正、復路オリジナルヘッドマークという話だった。これは行くしかないと決め撮影地を選定にかかったのだが、いかんせんこの列車、11月25日16時02分に大阪駅を出るというダイヤ設定であったため日の出ている間に順光で撮影できる区間が大阪~須磨の間のみとなっていた。そのうえ純正HMが掲出されるとは言え後ろにつくのはサロンカーなにわ。どこか違和感を覚えてしまう組み合わせであったのでここは編成撮りより面縦でヘッドマークを目立たせるほうがよいのではないかという話を友人とし、友人が苦心の末見つけてきた場所で撮影することにした。

 11月25日、当日朝は少し雲があったものの夕方が近づくにつれ天候は回復、秋晴れの様相を呈していた。多くのギャラリーが詰め寄せる沿線を横目に友人と二人でセッティング。通過を待った。本番通過の露払いにやってきたのは新快速、このときちょうど太陽が雲に隠れてしまい、本番もこのままかと思われた。

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 新快速通過後、太陽は雲から抜け、5分しないうちにPFのヘッドライトが見えた。太陽高度5度という絶好の秋の斜光線の中、EF65-1132が往年の「あかつき」単独ヘッドマークを掲げて「サロンカーあかつき」として東海道を下ってきた。

Report No.66 おしろい

 秋田県は、県下地域の約90%が特別豪雪地帯に指定されるほどの豪雪地帯である。これは日本海対馬暖流からもたらされる湿った空気によってもたらされる雪であり、水分を多く含んだいわゆるベタ雪である。

 北海道の鉄道車両がよく前面に雪を目いっぱいつけて走っていることがあるが、北海道の友人に言わせればこれはベタ雪だからだそうだ。もちろん、降る量や車両の速度にもよるが、一般にベタ雪のほうが引っ付きやすく、粉雪と呼ばれるようなものはあまり引っ付かない。そう、実は車両の前面に雪を目いっぱいにつけて・・・・という事象はいろいろな条件が適切に組み合わされなければ成立しないのだ。

 2014年3月、折しも私が東日本、北海道地域を遠征しており北上する中、寒波が到来していた。秋田に近づくにつれて雪は深くなり、冷え込みも厳しさを増していった。当時、485系新潟車が特急”いなほ”から撤退することが決まっており、遠征中可能ならば記録せねばと思っていた。秋田駅に立ち寄った際に、ちょうど”いなほ1号”で到着する運用を撮れることが分かり時折雪舞い散る秋田駅でスナップした。

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 顔一面とはいかなかったが、日本海側特有のベタ雪を顔にひっつけて少し”おしろい”をぬった485系上沼垂色がホームで発車を待っていたのを記録した。数か月後、上沼垂色は全車引退し、常磐線から活躍の場を移してきたE653系へと役目を引き継いだ。

Report No.65 エンブレム

 日本初の特急用電車として開発された151系は欧州のTrans Europe Express(TEE)を意識した外観と塗装でそれまでの国鉄に新風を吹き込んだ。この、151系の先頭部には、それまでの列車になかった新たな”シンボル”が輝いていた。公募によって募集・決定された特急(Tokkyu)の「T」を図案化したといわれる金色と銀色に彩られた三角形の特急エンブレムだ。151系以降の特急電車には皆このエンブレムが取り付けられ、特急車を象徴付けるものとなった。しかし、エンブレムは後に改造により撤去されたり、塗装が簡略化されたりするものも発生した。

 JR西日本が所有していた381系のうち、福知山電車区で活躍していた車両たちは、従来金と銀で塗装されていたエンブレムが銀のみに塗装簡略化されていた車両がほとんどであった。その中で唯一、本来の金と銀で塗装されたエンブレムを装備していたのがFE41編成の京都方先頭車、クハ381-1103であった。

 福知山区381系の289系への置換が発表され引退が迫った2015年の秋、暇を見つけては山陰線沿線へ撮影へ出向いていた。しかし、このころにはすでに繁盛記以外は4両での減車運用が行われており、なかなか編成で撮るというと迫力のある画が撮れない環境であった。そこで、正面から縦構図で捕らえられれば両数を気にすることなく、迫力ある画が撮れると考えて、数少ない朝の381系の運用を狙って撮影に向かった。向かった先は山陰本線嵯峨嵐山保津峡間の竹林ちかくの踏切。

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超望遠構図で朝9時前の”きのさき6号”を待ちうけた。踏切が鳴り、竹林を颯爽と通り抜けてやってきたのは金と銀のエンブレムのFE41編成。朝の鋭い光線が端正な顔立ちとエンブレムの造形を浮かび上がらせた一瞬を切り取った。

Report No.64 血液の一息

「石油の一滴は、血の一滴値する。」

第一次世界大戦中の1917年、仏首相クレマンソーが米大統領ウィルソン宛に石油支援の要請をした際の電報の一文であり、第二次世界大戦中の日本でも戦時標語として用いられたほど有名なものである。この電報が打たれた第一次世界大戦から100年近くが経とうとしている現代でも、石油は重要なエネルギー資源であり続けている。ひとたび原油価格が変動すれば経済が影響を受け、さらには一般市民への日常生活へも影響を及ぼす。車や暖房、石油がなくてはならない現代、石油を消費地へ輸送することは、つまり身体の隅々に血液を行き渡らせることと等しく重要なことである。
 日本は産油国ではないため、海外から船で運んだ石油を沿岸部の製油所で精製し日本各地へ輸送しなければならない。だが、ご存知のように日本は、国土の約7割が山地であるような険しい地形である。特に、信州は木曽路日本アルプスの山間に位置する街々を結ぶ道は、数々の峠が点在する難所である。これを回避し物流量を増加させるために長大トンネルなどが整備されているが、石油など危険物を運ぶ車の通行は安全面の問題から通行が制限または規制されている。ここで、峠を迂回して輸送するとなると輸送量の減少は必至でありなおかつ経済的でない。このため、信州方面の石油は主に大量輸送に長ける鉄道貨物によって輸送されており、鉄道が信州への血管、大動脈となっているのだ。
 信州への大動脈の大元、心臓のひとつを担うのが日本屈指の港湾石油工業地帯のひとつ中京工業地帯に位置する四日市であり、ここから関西本線中央西線を経由し年中を通しほとんど休みなく石油が運ばれている

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 そんな血液の一滴が塩浜駅発の6286レである。6286レは塩浜駅を18時26分に発車後、四日市駅まで来るとここで21時14分まで一休みとなる。日の入りが早くなった秋、四日市駅を覗くと、夜の静寂の中、発車まで身体を休めるDD51重連牽引の6286レの姿があった

Report No.63 秋風の便り

 日が短くなり、風も肌寒くなり、動植物が冬支度を始める秋。秋になるとユーラシア大陸からの乾いた空気が日本列島を覆うようになり、いわゆる”秋晴れ”が多くなる。とは言うものの今年は例年に比べ雨や曇りが多く、日照時間が少なかったため、あまり気持ちの良い晴れの日に恵まれなかった。更に、秋になれば気温が下がるため、夏に比べて陽炎も幾分おとなしくなる。陽炎がおとなしくなる秋から冬、この時こそ俯瞰などの遠景アングルがおいしくいただける時期だ。

 普段は俯瞰などの遠景撮影よりは超望遠などを用いて圧縮する構図のほうばかりに目を向けがちだが、せっかくの秋、俯瞰もまた一興。晩秋が近づくころから信州方面への石油輸送貨物の一翼を担う愛知機関区のDD51牽引石油列車は気温低下による需要増に伴い重連運転となる列車が出てくる。いつもならば重連を望遠で圧縮して・・・・と考えるところだが、俯瞰で側面から重連牽引を撮るのもまた面白そうだと考えた。以前より目をつけていた俯瞰ポイントで撮影することにした。ポイントは桑名方面から伊勢湾を見渡す形で俯瞰できるポイントで、ちょうど関西本線近鉄が並走する区間を見下ろす形になる。

 初めてこのポイントを訪れたときはあいにくの運休で無駄足を踏んでしまい、2回目に訪れた際には東海道本線内での列車遅延により列車通過前に日没を迎えてしまった。そして三度目の正直、友人を「もうこれしかチャンスがない!」と説得し、レンタカーの軽自動車を駆ってえっちらおっちらと山を登った。山頂につき、伊勢湾を見渡すと遠景に武豊火力発電所の煙突が見えるほどの空気の澄みようで、傾きだした太陽に照らされた伊勢平野が赤く染まりだしていた。ここで撮るのは信州への石油出荷列車、72レである。肌寒い秋風の中設営し通過をまった。

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 途中何度か線路が雲の影に覆われるなどヒヤヒヤだったが、通過10分ほど前から構図内には晴れ間が広がった。近鉄電車がひっきりなしに眼下を通り過ぎる中、16時15分ごろ、画面右からゆっくりとDD51重連に引き連れられて石油列車がやってきた。運よく名古屋からの近鉄アーバンライナーもフレームイン。ナガシマスパーランドをバックに、近鉄電車、長良川と中京圏らしい情景の中、夕刻の関西本線DD51が駆け抜けた。

 

秋の桑名界隈はまだまだ撮影していないポイントが多いため今後さらに重点的に撮影していきたい。

 

Report No.62 フィルムとデジタルのお話

 ほんの20年ほど前まで、写真といえばフィルムが主流であった。デジタルカメラは1975年にコダックが発明したが、1990年代まで高価でフィルムを使用する銀塩カメラに劣っていたこと、家庭用コンピューターの普及状況なども相まってあまり普及しなかった。しかし近年では、半導体技術の進歩によってデジタルカメラが比較的安価になったこともあり、カメラの主流はデジタルに取って変わられた。

 私は現状フィルムとデジタルを併用しているが、これはフィルムには1つデジタルではどうしても再現できないものがあるからだ。写真に撮って色は構図と同じかそれ以上に重要なものだ。フィルムとデジタルでは色の出方が全く違い、デジタルで頑張ってフィルムの色を再現しようとしてもどこかな発色が異なるのだ。

 仕組みの話をすれば、フィルムが光による化学反応によって色を出すところをデジタルは光を電気信号として取り込み、それを画像処理アルゴリズムにのっとって処理する。なお、RAW現像のようにアナログ-デジタル変換をしただけの生データとして記録を行うこともできるが、これをきちんとJPEGなどの写真データとするには画像処理エンジンを通してアルゴリズムに従った処理を行う必要がある。デジタルの場合、この画像処理エンジンが曲者なのだ。デジタルカメラはCCDもしくはCMOSセンサーという受光センサーに当たった光を記録しているわけだが、センサーは非常に小さい受光素子の集合からなっている。センサーの表面には素子が碁盤の目に並んでおり、この素子と素子の間には必ず微小な隙間があり、この世のすべての物質が原子からできていることから受光素子一つ一つの小ささには限界がある。画像処理エンジンでは、この隙間の補完処理と素子間のばらつきの補正を行っているわけで、デジタルカメラで得られる情報は少なからず画像処理エンジンのアルゴリズムによって生成された近似解、つまり”本当に近しい嘘”なのである。フィルムの解像度をデジタルの画素数へ理論的換算計算をすれば、現在のデジタルカメラの画素数はフィルムとほぼ互角かもしくはフィルム以上であるが、色となると、フィルムにほぼ一様に塗布された感光剤粒子の化学反応によるウソのない発色に256色のデータで写真を作るデジタルは勝てないだろう。しかし、フィルムにはその製品ごとに発色の偏りがあるのでその点ではウソの発色といえるかもしれない。

 近年では補正方法も技術革新が続いているがそれでも人が設計するモノな以上、化学反応であるフィルムに完全に一致させるということは不可能とは言わずともかなり非現実的である。

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この2枚の写真は、2016年8月31日に関西本線塩浜駅にて撮影したDD51-853牽引の5263レであり、上がデジタル、下がフィルム(Provia100F(増感1段))である。デジタルはRAWで撮影したものをなるべくフィルムに近い発色へ近づけたつもりであるがやはり発色が少しずつ異なる。色の深み、階調などなど、写真の”厚さ”を印象付けるものの違い、フィルムとデジタルの違いを少しわかっていただけただろうか。

 

※なおデジタルとフィルムでレンズ、露光条件が異なるため単純比較はできない。